宗教と音楽研究の部屋です。
(Bach を中心に、以前の古楽と、以後の宗教音楽が対象)2007 年 12 月17 日改訂
最近、Leonhardt と Mengerberg 、Herreveghe 、Gardiner の Matthäeus を手にいれて、聴いています。この曲を初めて聴いた時に、思い浮かべたのは、”錫杖”を振って歩いている姿でした。渋いです。気に入っているのは、独唱と合唱(民衆を意味する)のかけあいの部分です。重奏が美しい。
No. 20 Aria & Chorus
Ich will bei meinem Jesu wachen.
So schlafen unsre Sünden ein.
Minen Tod büßet seiner Seelen Not;
Trauen machet mich voll Freuden.
Drum muß uns sein verdienstlich Leiden Recht bitter, und doch suße sein.
Ich will bei meinem Jesu wachen.
So schlafen unsre Sünden ein.
目次
ミサ・ミサ曲の定義については、下記の本やリンク等の資料に詳しいので書きませんが、基本的には、カトリック教会の儀式です。純然たるプロテスタントであったバッハが、なぜミサ曲を書いたのか、大きな謎になっています。”ロ短調ミサ”という作品がありますが、それはどうなのかといえば、正確にはミサ曲ではない。ごくわずかな言葉ではあるのですが、一部が正規の通常文と変わっていたり、構成がミサに使える実用性のあるものではないのです。音楽会用の宗教オラトリオである、というのが正確なところだそうです。だから芸術的、音楽的価値が低いという意味ではないです。しかし、実際にミサに使われることは断じてありません。
モーツアルトもフォーレも、ミサ曲の定義を満たした曲を数曲作っています。実際に、ミサ曲として用いられています。モーツアルトのレクイエムのもっとも感動的な演奏は、アメリカの故ケネディ大統領の葬儀のライブ録音とされています。その後、ケネディ大統領には、いろいろ問題があったことが判明しましたが、葬儀当時、ケネディ大統領の死を悲しんだ人々の心は本物だったということでしょう。
ケネディ大統領追悼のミサの実況録音は、以前 LP ででていましたが、2006 年秋に、CD2 枚組で再発されています。限定販売です。もしかしたら、もう二度と販売されないかもしれません。聴きたいかたは、早急な手配が必要だと思います。日本国内に在庫がなくても、アメリカに在庫があるかもしれません。私は、アメリカの CD universal から逆輸入しました。アメリカでは、この演奏をあまり宣伝していないようですし、売れてもいないような雰囲気です。アメリカでは、ケネディ大統領といえば、暗殺の謎ばかりが強調されています。故ケネディ大統領個人には、あまり人気がないのかもしれません。初めてのカソリックの大統領だったことも影響しているのかもしれません。カソリックの大統領には、プロテスタントの人々からは、相当の反発もあったでしょう。人の心は深い闇に包まれています。ある時は、敵対者攻撃、ある時は、近親憎悪・・・。だからこその宗教ではないかとも思うのですが ・・・。
私は、 故ケネディ大統領の葬儀の実況録音の LP を持っているのですが、レコードプレーヤーが壊れていて、ずっと聴けない状況でした。CD を改めて聞き直してみると、あまりに沈痛な響きに心を動かされます。この葬儀は、カソリックの正式なミサです。司教のイントロに続いて、弦楽合奏が始まります。それに続いて管楽器が演奏されます。この管楽器がなんなのかずっと気になっていました。DVD を見ても、指揮者ばかりが映されるので全然わかりませんし・・・。最近、Dover 社の full score を見て、ファゴットであることがわかりました。 Leinsdorf 盤は確かにファゴットです。しかし、指揮者によってはホルンを使っているのではないかという気がしています。金管と木管の違いは、音色を微妙に変更できるかどうか、ビブラートがかけられるかどうかだと考えています。詳しい方がいらっしゃいましたら教えてください。
● ラインスドルフ指揮 ボストン交響楽団: 1964 年 1 月 19 日 ボストン聖十字架大聖堂
BMG Japan: BVCC-38391~38392
バッハ以前の音楽ということになると、大部分が宗教がらみです。そうではない音楽もあったのでしょうが、それを後年、演奏できる形で残すことができませんでした。楽譜の出版は、1501 年にベネチアで始まったとされています。しかも、古い楽譜を見ると、かなり見にくいのです。音の長さが書いてなかったりします。普段歌うことでしか、正確な音楽を伝える方法はなかったのではないかと思います。毎日歌うこと、それは教会でしか行うことができなかったという構造です。
古い音楽を聴いていると、響きが重要な意味を持っていることがわかります。和音が生まれたのだって、ポリフォニーが生まれたのだって、響きがあったからこそ生まれた世界に違いありません。また、音楽の発展に、宗教が非常に重要な意味を持っていることも理解できます。祈りが歌になり、歌の伴奏として器楽が発展し、発展した楽器を生かすものとして、様々な楽曲が、発展してきたものと思われます。”響き”や”祈り”は、日本にもなかったわけではありませんが、西洋とはかなり違うものです。しかし、現に西洋音楽を楽しめる私がいるわけで、そんなことには意味がないのかもしれません。
バッハ以前の音楽でドイツ人の作曲で有名なものには、シュッツの作品があります。シュッツは、三十年戦争(宗教戦争)の時に活躍した宗教作曲家です。ルターが 1483 年から 1546 年の生涯、シュッツが 1585 年から 1672 年の生涯なので、すでにプロテスタントの形式はできあがっていたものと思われます。バッハの作品は、旧約聖書の世界にはあまり触れていないようですが、シュッツには、ダビデ詩編という有名な作品があります。ダビデ王は、旧約聖書のサムエル記に出てきます。psalm (旧約聖書)から取ったのではないでしょうか。
マショーのノートルダムミサを初めて聴いた時に、違和感が全くないのに、安心しました。いくら、名曲、名演とされていても、自分が素直にそう思えないのであれば、なんの意味もありません。いいな、と感動した自分に安心しました。特に最終章は、非常にきれいです。時代を超えています。オケゲムのレクイエム(もっとも古いレクイエム)は、現代人でも、素直に美しいと感じられる作品です。驚くべきことと思います。バードの作品は、ひたすら美しいですが、国籍不詳ですね。
フォーレのレクイエムが発表された時、あまりに美しいため、批判があったそうです。フォーレいわく、”死は苦しみというより、喜びに満ちた解放” 。
フォーレのレクイエムが好きです。高校生の頃から好きで、クリュイタンスやフレモーの演奏をどっちがいいかなと、毎日のように聴いたものです。40 年前の定番は、この2人の指揮者による演奏だったのです。いつのまにか、定番は替わって、Gardiner の指揮のものになったようです。一般には、第三版の演奏が用いられるのですが、Gardiner は、第二版を用いています。Gardiner の演奏を初めて聴いて驚いたのは、突然、ティンパニの音がしたことでした。他にも楽器の編成が違うそうです。でも、全然違和感ありません。これがフォーレのレクイエムの定番だと言われてもうなづけます。
もうひとつ、美しいのが、Herreweghe の演奏です。非常に透明、純白な演奏です。私は、モーツアルトのレクイエムに関しては、もっと分厚い響きの演奏のほうが好きなのですが、フォーレはモーツアルトよりずっと後のロマン派の作曲家なのに、なぜなのかな、とずっと思っていました。思わぬところにヒントがありました。グレゴリオ聖歌を初めて聴いた時に気がついたのですが、フォーレのレクイエムとグレゴリオ聖歌はかなり雰囲気が似ているのです。ですから、古楽器演奏グループが演奏したほうがうまくいく、そんな印象を持っています。
宗教音楽こそ、DVD の出番だと思っています。いわゆる宗教音楽額関連の名演と言われている演奏の多くが DVD で出ていないのが残念です。Herreweghe は、1 枚の DVD も出してないのです。宗教音楽関係の DVD は、日本で手に入れられるものは、そんなに多くありません。ご参考までに、私の手持ちの DVD について、簡単な印象を書いておきます。
何枚もの CD,DVD を並べて批判したり、他人に蘊蓄を垂れる、というようなコレクター趣味だけにはならないように気をつけたいと思います。その曲について論文・本を書くなどというのでなければ、ひとつの曲の演奏は 3 種類もあれば十分ではないでしょうか。もちろん、買う前に情報を検索して吟味する必要はありますが・・・。持っているだけで聴かないのであれば、単なるレコードコレクターです。むなしい話です。また、1,2 種類の演奏しか聴いていないのに、”これがベストだ”なんて言わないでほしいです。ベストがどれかを言うために、コレクターになるのもむなしい。好きな曲なので、いろんな演奏を聴きたいと思っていたら、いつのまにか集まってしまったというのが正しい音楽ファンというものでしょう。それだって、”これがベスト”などとは軽々しく言わないことです。
以下、順番がばらばらですいませんが、新規に購入したものを後ろに付け加えています。
■ Bach Matthaus-Passion 指揮 Richter ミュンヘン・バッハ管弦楽団・合唱団
定評のあった VHD 版の DVD での再発売。録画は 1971 年。映像は嫌みのない撮り方。アルトのユリア・ハマリが気に入りました。画質、録音は、優秀とは言えないですが、録画・録音の日付を考えたらかなり良好と言えると思います。Richter は、合唱の人数を以前より絞ったとされていますが、今見るとそれでも結構多い。以前は、ものすごい人数だったことがわかります。
日本語の字幕も出ます。バッハファン、宗教音楽ファンなら、必ず持っていると思う DVD です。
■ Bach Matthaus-Passion 指揮 Ton Koopman アムステルダムバロックオーケストラ・合唱団
マタイ受難曲の DVD で、日本で聴ける (DVD の region code 問題)のは、これと Richter のものしかないはずです。録画は 2005 年、実況録画です。古楽器奏法です。画像の威力で、楽器や奏法までわかります。DVD は、実況のほうがいいんじゃないかと思っています。時に、作られすぎた画像の DVD があるので・・。Richter の演奏が昔タイプ(現代楽器でビブラートたっぷり)の代表だとしたら、こちらは古楽器演奏の代表 DVD で、おすすめできます。日本語の字幕がついています。ソプラノの Cornelia Samuelis が出色。また、木管の古楽器はすばらしい美しさです。弦楽器は軽くビブラートをかけています。聴いてもほとんどわからないくらいですが、映像では明かです。私は弦楽器は少し、ビブラートをかけたほうがいいのではないかと思います。
■ Mozart Requiem 指揮 Karl Bohm ウイーン交響楽団・ウイーン国立歌劇場合唱団
1971 年の演奏。これが定評があるのですが、実際に視聴してみて、少々意外な感じを持っています。なにしろ、風呂場の中で歌っているように、残響がものすごい。実況ではありません。これで演奏がどうのこうの言えるのでしょうか。歌っている女性群も厚化粧で、Richter の質素ないでたちの女性合唱群とは相当違います。映像は凝りすぎ。他人に、これを推薦する勇気なし。趣味悪いね、とか文句言われそう。ベームだから演奏は悪いはずはないのですが・・・。
■ Mozart Requiem 指揮 Colin Davis ドレスデン国立歌劇場管弦楽団・合唱団
2004 年 実況録音。第二次世界大戦でのドレスデン大空襲で亡くなった人達を追悼するための演奏会での録音です。聴いて驚いたのが、指揮者が時々歌っている音が入っていることです。最初、これが邪魔で、購入は失敗だと思ったのですが、2 回目からは気にならなくなりました。DVD だったらこれか Gardiner 版がおすすめできます。Dresden(日本語名"運命の日")という映画があります。前期した第二次大戦末期の大空襲を扱った映画です。東京大空襲は非戦闘員が大量に焼け死ぬという悲惨な状況でしたが、それに劣らぬくらいの悲惨さだったようです。同じように何万人もの大勢の非戦闘員が殺されました。演奏は実況ですが、終わっても誰も拍手をしません。私はこのDVD を見た時、今まで勘違いしていたことを知りました。モーツアルトのレクイエムは、演奏会用の音楽ではなく、純然たるカトリックのミサ曲なのです。
■ Bach Greatest organ works オルガン演奏 Hans-Andre Stamm
これがすばらしいのです。ドイツの Waltershausen のパイプオルガンを使っているのですが、映像がものすごくきれい。録音も優秀です。他人へのプレゼントとしても悪くないと思います。思いがけなく宝物を拾ったという感じ。がっちりとした構成感と響きは、モーツアルトの音楽にはないものと思っています。
■ Mozart Grosse Messe C-Moll 指揮 Leonard Bernstein
実況録画。ラテン語が使われています。演奏はかなり巨大な教会で行われていて、壮観です。楽器は新楽器です。Region code は、0 なので、日本の DVD プレーヤーで聴くことができます。広告では、1 なのですが・・・。この種の間違いは結構あるようです。
■ Mozart Requiem 指揮 Claudio Abbado Berliner Philharmoniker
Cathedral in Salzburg での実況録音。残響たっぷり、でも、オン・マイクなので、ベーム指揮の演奏とはかなり印象が違います(ベーム盤はオフ・マイク)。オン・マイク(マイクと歌唱者が近い)なので、スピーカーが良くないと駄目かもしれません。これも、Region code は、宣伝では 1 ですが、実は 0 です。合唱は、スエーデン放送合唱団ですが、すばらしいです。出だしの introitus が、オケは鳴らない、コーラスとずれているなど、ちょっとちぐはぐな感じなのですが、第 2 曲以降は、調子をあげていき、すばらしいです。出だしの不調は、実演だから仕方ないんじゃないでしょうか。
■ Mozart Requiem 指揮 J.E.Gardiner Monteverdi Choir English Baroque Soloists
1991 年 スペインでの実況録音。古楽器演奏。ビブラートほとんどなし。残響少ない。オンマイク。映像はかなりきれい。ベーム盤みたいな”風呂場録音”(すさまじい残響という意味です)に慣れた人には物足りないかも・・・。残響なくてもきれいです。本物の美人(名演)は、お化粧(残響)なくてもきれいという見本みたいな演奏だと思います。トスカニーニが残響を極端に嫌ったのは有名ですが、それに通じるものを感じます。もちろん、演奏に自信がなければこんな録音はできません。世界でもっとも美しい合唱を聴かせてくれるとされている Monteverdi 合唱団を、初めて映像で見ましたが、こんなに少ない人数だと思いませんでした。
■ J.S.Bach Die Motetten 指揮 Helmuth Rilling Gachinger Kantrel Stuttgart
スタジオ録音。楽器がなかなか写らないのでわかりにくいですが、新楽器演奏でビブラートも使用しています。モテット集なので、楽器はどうでもいいのかもしれません。日本語字幕がでます。残響は多めですが、許容範囲です。
■ J.S.Bach Messe in H-moll Richter 指揮 Munchener Bach-chor
1969 年の録音・録画です。バイエルン州クロスター教会での録画・録音です。残響はやや多いですが、許容範囲です。それにしても、非常に美しい教会です。そしてかなり大きい。だから残響も多いのだと思います。新楽器使用。撮影法はとても自然です。マタイよりも好きです(画像の撮影法がですよ)。画面に、ラテン語の字幕が出るのはありがたいです。”日本語の字幕が出ます”、と広告に書いてありますが、間違いです。Richter の指揮の CD をすでに持っているのでどうしようかと思いましたが、購入して良かった。
宗教音楽に踏み込むためには、語学を含め、かなりの勉強が必要です。言葉が半分以上意味を持つ世界ですから・・。少なくとも、ミサ曲の言葉はすべて理解できなければ話にならないでしょう。ラテン語で会話できるくらい上達する必要があるという意味ではありません。
● ”音楽史の中のミサ曲” 相良憲昭(サガラノリアキ) 音楽の友社 1993 年
作者は、東大卒、文部省のお役人、国連大学事務局長、京都ノートルダム女子大学副学長という経歴の方です。カソリック教徒です。ラテン語でミサが行われていた時代をご存じで、各国語でミサが行われるようになった最近の状況を嘆いています。
ミサ曲の歴史ということになっているのですが、ほとんど全西洋音楽通史であることに驚かされます。プロにはこんな本は書けないのではないかと思います。深くはあっても、狭いのがプロですから・・・。視野が本当に狭いプロが一流ではないのは、どこの世界も同じですが・・・。この本には、音楽の歴史が書かれているといっても過言ではないと思います。音楽の発展の歴史の意義が、鋭い洞察をもって書かれています。私は読み終わった時、目から鱗が落ちた感じがしました。バッハ以前の音楽の意味が、こんなによくわかるとは、読むまで思いませんでした。
宗教音楽ファン、古楽ファンだけではなく、すべてのクラシック音楽ファンに読むことをおすすめします。私は、クラシック音楽ファンを自称する人には、この本に対する印象を聞いてみることにしています。
グレゴリオ聖歌がすたれ始めたのは、1962 年の第二バチカン公会議以降という指摘にはなるほどと思いました。要するに、1962 年以降、ラテン語がミサで使われなくなって、グレゴリオ聖歌も実用音楽から離れてしまったという嘆きです。これは、聖書の新共同訳批判(日本語が美しくない)にも似たものと言えます。私は、この本を読むまで、グレゴリオ聖歌について、相当誤解をしていました。
● ”マタイ受難曲” 礒山 雅 著 東京書籍 (絶版)
後ろのレコード紹介はすごく役にたちました。私は、マタイ受難曲は、リヒターの新盤をずっと聞いてきたのですが、なんとなく、納得できないでいました。この本で推薦されているレオンハルト盤 (1989 年録音 BVCD -38121-23) の美しさに、感動しています。それにしても、この本が絶版とは残念です。頼れるのは、レコードなどについてくる、歌詞しかないということになります。
Mengelberg 盤を相当批判されている(テンポがくづれすぎている)のですが、私は気に入っています。1939 年の録音なのですが、録音は意外によく、言葉ははっきりと聴き取れます。ただし、オケのほうの音は残念ながらかなり悪いです。でも、声楽がきちんと聴ければ目的の大部分は達したと言えるのではないでしょうか。音楽として完成しているように思われます。
● ” J.S.バッハ” 礒山 雅 著 (講談社現代新書)
バッハの生涯の解説書としてわかりやすいです。上記の”マタイ受難曲”を執筆する前に書かれたものです。
● ミサ曲 ラテン語・教会音楽ハンドブック 三ヶ尻正 ショパン
ミサ曲を歌う人必携の本です。ミサ曲のラテン語、ドイツ語、日本語訳が出ています。また、発音上の注意も書かれています。聴くだけの人にも役立ちます。
● レクイエム・ハンドブック 高橋正平 ショパン
レクイエムを歌う人必携の本です。聴くだけの人にも役立つでしょう。非常に実用的です。
● ミサ J.A.ユングマン 福地幹男訳 オリエンス宗教研究所 1970 年
ミサの歴史を書いています。第二バチカン公会議についてもきっちりと記載されています。
ミサに関する教科書とも言うべき本です 。
● ミサがわかる 土屋吉正 オリエンス宗教研究所 1989 年
ミサの具体的な詳細がわかります。ミサの意味や式次第などが記載されています。
● Mass in B minor in full score
ミサ曲では、通常文を繰り返すのが普通なので、テキストだけ見ても、音楽はわかりません。
私は、Dover 版(0-486-25992-7) を使っています。大型で見やすい。小型のものより、むしろ安い。
声楽部分だけを抜き出した楽譜も出版されています(全音)が、フルスコアのほうがおすすめです。
楽譜販売の老舗の アカデミア で、3600 円でした。
日本製の楽譜に慣れていると、印刷はあまりきれいとは言えませんが、見にくいほどではないです。
● ”レクイエムの歴史”井上太郎 平凡社
”レクイエムは元来カトリックの典礼音楽だが、それが次第に典礼の域を越え、大きく変わってゆく。現代においてはカトリックと全く無縁なレクイエムが作られており、むしろそのほうが主流である。”(はじめに、から引用)
こんなこと割り切って書いていいのかな、と思います。宗教音楽は、むしろ言葉のほうが大事だと考えています。井上太郎さんは、言葉を軽視されているんじゃないでしょうか。レクイエムを 130 曲集めて分析した、CD も紹介する、という貴重な本ではあるのでしょうが、分析が音楽に偏りすぎているように思います。作品の背景に関しては、かなり詳しいので、読んで無駄になることはないと思います。資料的価値も十分あります。当時の皇帝の考えひとつで、ミサが華美になったり、簡素になったり、かなり揺れ動いていたのがわかります。最近の現地語ミサに対する批判も、その流れのひとつの形であるのかもしれません。
● ”ヨブ記講録” 小畑進著 いのちのことば社 2004 年
聖書の中のもっとも美しい部分は、旧約の job 、psalm にあると考えています。大叙事詩です。しかし、難解であることでも有名です。これをわかりやすく、講釈してくれています。宗教のもっとも深遠な部分でもあり、それでも難解なところは残ります。万葉集や荘子、国木田独歩、パスカルなども引用・参照され、著者の博識と説得力には見るべきものがあります。実際に、東辺・池辺教会で講解されたものをまとめたものです。
job に関しては、岩波文庫から内村鑑三の弟子の関根正雄さんの訳、一般的な聖書として、口語訳、文語訳、共同訳などがでていますが、日本語だとかえってわかりにくい印象です。英語も参考にすることをおすすめします。精確には、原語(新約 ギリシャ語、旧約 ヘブライ語)を読むべきとされていますが、それは不可能に近いでしょう。
● ”新約聖書はなぜギリシア語で書かれたか” 加藤隆著 大修館書店 1998 年
著者は、”書かれたものは理解されるために書かれている”と主張しており、わからなくても読めと言われることの多い聖書に関して、一石を投じたものと思います。
クリスチャンになって何十年もたっているような人でも、聖書の言葉がわからなくて困惑していることがあるようです。しかし、それを解決する手段が意外に少ない。困惑するということは、相当な知性があるとも言えます。ただ、”信じろ”というのは信者をばかにしているのではないかと思います。もちろん、そんな司祭ばかりではないと思います。2006 年 10 月に東京司教区で開かれた”聖書の集い”は、いろんな意味で勉強になりました。感動的ですらありました。
*聖書の難解さについて
聖書が難解であることの大きな理由の一つとして、翻訳の問題があります。たとえば、新約、旧約の”約”は契約の意味で、ヘブライ語では、berith と書かれていました。ギリシャ語に翻訳された時に、diatheke(契約、遺書)が単語として用いられました。さらにラテン語に翻訳された時に、testmentum (遺書)という単語が用いられました。testmentum には、本来、契約という意味がないのです。また、古い写本には、単語の間に空白がなく、単語をどこで切るかという問題もあります。誤訳のために、深読みしすぎて、さらなる誤解が生じたという状況もあります。テキストの前後を無視して、抜き出したために、曲解が生じたこともあります。このような事情があちこちに存在し、難解さを増すことになってしまっています。
”一字一句をゆるがせにせず、聖書全体に文字通りに従う” ということは、不可能である。こういった主張は、聖書を実際に読むという行為を試みるならば、とうていできるものではない。しかし、このような主張をしてはばからないということは、実は、そのような主張をする者は、聖書を読んでいないからだということになる。つまり聖書を読まずに、聖書を利用しているだけではないかと考えざるをえない。
福音書全体を綿密に読む者は、現代でも少数である。福音書全体を読まねばならないと感じていても、やはり解説書が必要だということから、福音書の断片を取り上げた説教の記録を福音書のテキストの順に並べた本を作って、それを読んだりしている。”福音書全体を綿密に読む” ということの本質的な意味について、まったく理解がないことを端的に示すものである。
最初に成立したマルコ福音書は、それまで使徒たちに独占されていた権威を、より多くの者に解放した。
ルターは、”聖書のみ” ”万人祭司”の原則を打ち出した。これはすべての者が聖書を読み、理解するようになることを理想とすることを意味する。祭司とは、本来、神と人との関係を司る者のことだから、万人が聖書を読み理解するようになれば、各人が神と自分との関係を司ればよいことになり、一部の専門の者が神と人との関係を司どる者として宗教社会的に特殊な地位につき、他の者に対して社会宗教的な権威をもつということはなくなるはずである。<中略> ところが実際は、知識解放は徹底的には実現しなかったし、現在にいたっても基本的には実現していない。
宗教の問題、特に社会的状況における宗教的な権威の問題はこの上なく複雑である。繰り返して強調するが、宗教は狭い個人的な意味での、救い、信仰、というような言葉で言われているような宗教上の個人的な満足な状態・平衡状態が得られればよいという観点からだけで考えられてはならない。
聖書は、千年以上ものイスラエル民族の困難に満ちた経験と、それを背景にした初期キリスト教徒たちの、これも困難に満ちた経験を通してようやく成立したものである。同じように完備したものは、どのような形態のものであれ、それが成立するためには、結局同じような困難を乗り越えねばならず、出来上がるものはやはり同じように複雑なものだろう。
● ”書物としての新約聖書” 田川建三 著 勁草書房 1997 年
聖書の歴史について書かれています。上記、加藤隆先生の本(”新約聖書はなぜギリシア語で書かれたのか”)が、文学的・哲学的であるとするなら、こちらはアカデミックです。恐ろしいほどの緻密さで、理詰めです。分厚い本で、値段も 8400 円と、医学書に劣らず高価です。もっとも、医学書でこの厚さなら、1万円は超えると思いますが・・・。
圧巻は、第三章の第二節の”正文批判について”です。正文批判とは、”いろいろ異なった写本の読みを比較検討して、大本の原文の文章を確定する作業のこと” です。その詳細が記載されているのですが、その姿勢の緻密さに圧倒されます。真の学問とはこういうものなのか、と思いました。私は、過去に、こういう学問を教わった覚えがありません。自分の専門である医学の世界を見直すことになりました。世界に誇れる研究書だという意見もあります。
しかし、一言いいたいのですが、最近、評判の良い新改訳聖書ですが、キリスト教原理主義者(ファンダメンタリスト)のための翻訳聖書と断定して、ばっさり切り捨てています。私には、そういう文章には思えないのです。New International Version(NIV) も、ファンダメンタリストのための聖書であると断定していますが、そこまで断言できるでしょうか。私はどうしても納得できないでいます。
納得いかないところも、少しあります。たとえば、第一版 659 ページ、共同訳(新共同訳ではない)を批判している部分です。ローマの信徒への手紙 1.17 ”福音には、神の救いの働きが啓示されていますが、この働きは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。”(共同訳)
King James Version :
1:17 For therein is the righteousness of God revealed from faith to faith: as it is written, The just shall live by faith.
新共同訳:
1:17 福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。
新改訳第三版:
1:17 なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる。」と書いてあるとおりです。
疑問を持たずにはいられない部分です。 私はギリシア語は初心者なので、原文にあたったわけではないですが、ほかの訳本と比較して、新共同訳には、あまりに日本語としておかしいと思うことがあります。前に気がついたのは旧約でした(具体的には今すぐは思い出せません)。新共同訳が、新改訳よりすぐれているようにはとても思えないのです。神学者でもない私が、聖書の翻訳の比較が簡単にできるのは、コンピュータ(J- バイブルや Bible Works) のおかげなのですが、コンピュータはお好きでないようです。いのちのことば社に対する批判も説得力がありません。
私は、この本を読んで、加藤先生の言う、”宗教の権威”について、いろいろ思いをめぐらされました。なにごとによらず、現代では、権威の失墜がよく言われますが、権威はなくなっていいわけではないと考えています。権威とは、別名、ブランド名、信用といった言葉でもあらわされるのですが、これがなければ、人間は生活ができません。しかし、たとえブランドものであっても、無限の信頼がもてるわけではない。そういう理解は、現代では普及したとは言えるでしょう。おそらく昔も、”絶対的権威”などというものはなかったのだろうと思いますが、心の弱い人間には、それは耐えられないのだと思います。
聖書の中身については、ほとんど触れず、周辺のことだけをあつかった本ですが、読む価値があります。説得力があり、わかりやすくて面白いです。ただし、この本を読んだことで、聖書の中身の理解が進むかどうかまではよくわかりません。一般的に、裏話を聞いたから、本物の中身がよく理解できるとは限らないのと同様です。しかし、こういう読み方もあるのだということで、参考になることは間違いないと思います。私は、加藤先生の”なぜ新約聖書はギリシア語で書かれたのか”も好きです。両者の本を読むべきと思いますが・・。書き出しは似ていますが、結論がほとんど逆なところが興味深いです。聖書について、ある程度の知識がないと、語句や人物名がわからないので読むのが大変だし、面白くないと思います。
最近、”イエスという男”という同じ著者の本も読みました。こちらはかなり聖書の内容につっこんでいます。イエスという人間と、キリスト教はイコールではない。最初の福音書であるマルコの福音書ですら、十字架での死から 30 年もたっています。まして、新約聖書の成立は 100 年以上先。パウロがキリスト教の基礎を作ったとされていますが、パウロは生前のイエスに会っていない。イエスは、ユダヤ教徒であって、ユダヤ教の改革者であったという意見には素直にうなづけます。それはマルコの福音書を読めば明らかです。しかし、それが、どういう意味なのかは難しいところです。教義に足しても引いてもいけないということを絶対視するなら、そもそも福音書が4つもあることがすでに矛盾しており、パウロがイエスの言葉をかなり脚色したこともわかっています。もし、聖書を絶対視しなければならないのであれば、もっと以前に、絶対視されるように記載を統一すべきだったと思います。そうでないところが、聖書の奥深いところではないでしょうか。いずれにしても、反キリスト教、反宗教の先鋒として興味深い本です。
従来のキリスト教学者の手によるイエスの歴史的背景の研究は、ほとんど百科辞典的な知識の羅列に終始してしまって、その『背景』 とイエスの活動との間の緻密なからみあいを、描き出すことに成功していない。成功していないというよりも、そういう問題意識すらない場合が多い。しかしそれはそもそも、歴史というものを理解する目が欠けているからである。その結果、歴史を極めて上部構造的な部分においてしか見ることをせず、イエスの活動を歴史の深みにおいてとらえることができないのである。
● 聖書 荒井献、佐藤研編集 岩波書店 1995 年
概して評判はいいようです。言葉を補っていて、非常にわかりやすい。そして、それが原義を変えていない。しかし、amazon の書評で批判されていたのですが、未来形を純然たる未来にしてしまったことが問題になっています。マルコの福音書の 12.30 です。”あなたは、あなたの神なる主を、あなたの心を尽くし、あなたの命を尽くし、あなたの思いを尽くし、あなたの力を尽くして愛するだろう。”という文章です。どの日本語訳を見ても、命令形になっています。”愛せ”。文法書によれば、ギリシア語の未来形は、実際は命令なのだそうです。
RSV: and you shall love the Load your God with all your heart, and with all your soul, and with all your mind, and with all your strength. (Nestle-Aland Greek-English New testment)
英語では、You shall という形は、命令、決意、禁止を表します。たとえば、You shall die. は、殺してやる、という意味なのです。ということであれば、”愛させてやる”。これでは変なので、”愛せ”ということになるのでしょうか。他の日本語訳は、”愛せ”なのです。
ただし、訳注に、命令の意味も含むと記載されているので、完全な誤訳と断じてしまうのは問題があるようにも思えます。
いずれにしても、もっともわかりやすい、第一級の翻訳だと考えています。ごくわずかな問題点(しかも完全な誤訳とはいいがたい)だけから、全体を評価してしまうのは間違いでしょう。私は、しかし、この書評を書いた人の語学能力 (ドイツ語、フランス語、ギリシア語、英語・・・)と博識のすごさに驚かされました。
● ナグ・ハマディ写本 エレーヌ・ペイゲルス著 荒井献 訳 白水社 1996 年
1945 年、エジプトのナグ・ハマディで発見されたキリスト教関連の文書。原始キリスト教の時代(紀元2世紀頃)の文書であることが判明しています。文書の冒頭に、”これは隠された言葉である。これを生けるイエスが語った。そして、双子のユダ・トマスが書き写した。”と記載があります。
キリスト教関連の宗教として、古代キリスト教には、グノーシス系キリスト教という宗教がありました。カソリックと違い、イエスを人間として扱っているのが特徴です。現行の正統派キリスト教(カソリック、プロテスタント、聖公会)では、十字架はり付けにより死亡した後、肉体的に復活したことを宗教の重要な原理にしているのですが、グノーシス系では、イエスを人間として扱っているので、肉体的な復活はありえないとします。妻がいたことも書き表されています。現存する正統派キリスト教では、神は自分の外に存在しますが、グノーシス系の考え方では、神は自分の中に存在します。悟りや内観を基本とする仏教の考え方に近く、仏教と交流があった可能性があるとも言われています。やはりほろびてしまったマニ教とも近いとされています。正統派キリスト教から異端として抹殺させられてしまい、宗教は現存していません。ナグ・ハマディ文書は、このグノーシス系キリスト教という宗教について書かれた貴重な資料です。2006 年に公開されたダビンチコードという映画は、まさしくこのグノーシス系キリスト教について描かれたものです。もちろん、外観的にしかすぎませんが・・・。映画は、現代のキリスト教徒にほとんど影響を与えなかったとされていますが、それはグノーシスの考え方に、映画が踏み込んでいないので当然のことです。
正統派キリスト教徒の方にも読書をおすすめしたい。聖書、教会の構造がよくわかるようになります。大事なのは、イエスの言葉、教えであって、キリスト教の形式ではないのではないかという気もします。しかし、形式を無視できるシステムは世の中になにひとつないので、結局のところ、なんらかの形式の枠をはめざるをえないのではないかと思います。
”キリスト教が多様なままであったならば、競争相手の無数の古代宗教儀礼とともに歴史から消え去っていたかもしれない。私見によれば、キリスト教の伝統が存続しえたのは、成立途上にあった教会が発展させた組織的・神学的体系に負うものである。”
海外の教会でミサに参加してきました。
・ 2006 年 11 月 Chicago Holy Name Cathedral
いろいろ探していて、英語の情報が大量にあるのを見つけました。日本人も頑張っていると思いますが、世界はすごいです。
■ 聖書情報
宗教音楽を聴くには、聖書を読むことは必須です。正確には、宗教音楽に限らず、西洋音楽とキリスト教は、わかちがたく結びついているのです。このサイトは、海外の聖書情報も取り上げてくれているので重宝します。作者は、同志社大学神学部教授の野本先生です。野本先生は、聖書のコンピュータ解析の専門家だけあって、海外の聖書関係の CDROM についての情報も豊富です。
■ 聖書の購入は、 日本聖書協会頒布部で・・・。
日本語の聖書を購入するのであれば、新共同訳大型聖書旧約続編つき、あるいは新改訳聖書がおすすめです 。前者は、バッハが使った聖書が、旧約続編を含んでいるからです。後者は、日本語の訳がこなれているように感じます。噂では、新改訳聖書を採用する教会が増えているそうです。発売は、 いのちのことば社 です。訳がそんなに違うのかという疑問の持たれた方もいると思いますが、実際に読んでみると、かなり印象が違います。訳の正確度も違うようですが、それについては軽々しくは論評できません。教会によっては、新改訳聖書を認めていないようなので、注意が必要です。通う教会に合わせるしか仕方ないと思います。英語訳もそうです(新約聖書のオリジナルはギリシャ語です)。King James 版というのがありますが、イギリスで作られたもので、格調は高いが、読みにくいとされています。もっとも多く採用されているのは、NIV (New International Version) という英語訳です。
小型辞書は持ち歩くにはいいですが、普段見るには字が小さすぎて読みにくいです。
■ キリスト教関係の書籍等の購入は、 サンパウロネットショップ で・・。
意外なことに、キリスト教関係の書籍は、 一般書店ではほとんど扱っていません。このショップでは、新改訳聖書は扱っていません。
■ 聖書のコンピュータソフトの購入は、 いのちのことば社 へ。
J バイブルは、聖書の勉強をするには、必須のソフトです。日本語聖書にもいろんな種類があるのですが、それらが検索できます。英語版の聖書もあります。これらが連動して表示できます。add on で、データが追加できます。新改訳聖書も新共同訳聖書も入っているので、便利です。
なお、新改訳聖書は、いのちのことば社の発売です。日本語訳によって扱っているショップが違うので、やっかいです。
■ Bach Central station Bach 情報 (英文)
■ J.S.Bach Home page Bach 情報(英文)
■ Bach の声楽曲の英語訳 のページ
Matthaus Passion の英語訳(全訳)もここにあります。
■ Bach 文献検索のページ (日本語)
英国・クイーンズ大学・音楽学部の富田庸さんが、編集しているページです。すばらしい宝です。近刊の書評などもあります。
■ Bach カンタータ愛好家のページ (英文)
■ Ensemble Voce のページ(関西の宗教音楽を演奏する団体です)
宗教音楽の解説が秀逸です。勉強になります。 Kyrie って、ギリシャ語なんです。ご存じでしたか?
■ 宗教音楽ページ
バッハのマタイ受難曲の解説が秀逸です。MIDI による演奏も聴けます。モーツアルトの宗教音楽についても解説があります。このページの作者は、外科医です。
■ 古楽の楽しみ
バッハ以前の音楽に関する情報です。Deep な世界です。作者は、海外旅行の経験のない技術系のサラリーマンだそうですが、すごいです。掲示板に書いている人も、Deep な人ばかり。古楽の CD の紹介がありがたいです。
中世・ルネッサンス・バロック時代の西ヨーロッパ音楽の愛好者のリンク集
■ バッハ・コレギウム・ジャパン のオフィシャルサイト
言わずと知れた、世界に通用する日本の古楽演奏団体のサイトです。
■ Collegium vocale genet のホームページ
Herreweghe 指揮する合唱団。コンサート情報等。
■ モンテベルディ合唱団(イギリス) のオフィシャルサイト
世界最強の合唱団の一つ、のオフィシャルサイトです。指揮者は、Gardiner.
■ HMV (CD,DVD 通販:店頭販売もあります)
私は、ここのインターネットサイトか、amazon を使って、CD,DVD を買っています。品揃えが豊富です。ただし、amzon に比べると、遅い印象が・・・。
店頭へいくなら、全館でクラシック CD,DVD とジャズしか扱わない秋葉原の 石丸電気 がおすすめです。ビルの 1 階から 4 階までクラシック音楽を扱っているのだから結構なものです。3 階が宗教音楽、DVD ミュージック関連です。amazon や HMV で廃盤扱いのものがたまにあったりするので、店頭通いは止められません。秋葉原のヨドバシカメラ・マルチメディア館にも、少数ながらありますので、顔を出してもいいかもしれません。でも、石丸電気のほうが圧倒的に多い。