ウイーン、 ザルツブルクの街

最終改訂: 2010/3/16

 2010年も学会発表(ヨーロッパ放射線学会)ができることになり、ウイーンに行くことになりました。前回は2006年です。月日のたつのは早いものです。ウイーンの状況も様変わりしています。街の象徴だった路面電車の一部が閉鎖だそうです。ウイーン南駅は工事中とのことです。新しい版の”地球の歩きかた ウイーンとオーストリア編”(ダイアモンド社)の購入と ウイーン観光情報 へのアクセスをおすすめします。

 なお、ここに書いてある値段は、2005 年, 2006 年時点でのものですので、注意してください。

 私は、2005 年 3 月、2006 年 3 月、2010 年 3月に、ヨーロッパ放射線学会 ECR(European Congress of Radiology) で講演するため、オーストリアのウイーンとザルツブルグに行きました。その時の印象や経験をまとめてみました。

 ウイーンは、音楽の都、美術品の宝庫です。ザルツブルクは、クラシック音楽ファンなら知らない人はいない、モーツアルトの生まれ故郷です。

 この文書は、単なる観光記ではないつもりです。なにかの用事で、ウイーン、オーストリアに行かれる方には、役にたつものと信じています。

 ヨーロッパ放射線学会については、"ECR Manual”をご覧ください。

注意:写真・文章は私のオリジナルです。無断引用は禁止します。リンクは自由に行っていただいて結構です。

目次

● 冬のウイーン

 ウイーンは、歴史の古い、美しい街です。3 月のウイーンは、まだ冬です。雪も降ります。寒いです。おおむね札幌より、ちょっと寒いと思えば間違いないです。

 下の写真は、ワイフが写したシュテファン寺院広場です。シュテファン寺院は、13 世紀ほどに建てられたオーストリア最大のゴシック建築物です。国立オペラ座と並ぶ、ウイーンを代表する建築物です。歴代の皇帝の内臓が地下に保存されています。モーツアルトが結婚式をあげ、葬儀もここで行われました。ウイーンの街の中心部です。

 

下の写真は、2006 年 3 月撮影

 シカゴも私のお気に入りですが、ウイーンもすばらしいです。なんと言っても、どこでも安心して歩けるところがいいです。日本人には親切だし、英語もアメリカより通じやすい。しかも、美術品の宝庫です。

 ヨーロッパは日本・アメリカとかなり生活習慣が違います。ヨーロッパに来てみると、日本はアメリカとそっくりだなあとつくづく思います。ウイーンの街を楽しむためには、ガイドブックが絶対必要です。ガイドブックとしては、”地球の歩き方” ウイーン・オーストリア編 A17 がおすすめです。1 年〜2年に一回更新されています。なるべく新しいものを使いましょう。

 インターネット上の情報源は、 ウイーン観光情報  が最強です。このサイトの”掲示板”をご覧ください。ウイーンは音楽関係などの日本人留学生が多い街ですが、現地にいる方から詳しい情報がもらえます。ガイドブックなどで調べてもわからないことを、掲示板で質問しましょう。インターネットは便利ですが、自助努力で情報を得ることが求められています。その上で、どうしてもわからないことを質問するのが、基本的態度です。本で、すぐわかるような事柄をインターネットで質問すると、批判メッセージを書く人も少なくありません。せっかくの旅行気分がだいなしになります。ウイーン観光情報には、音楽会関係の情報日本食レストラン情報 もあります。年々充実している印象です。

 ウイーンは、人間だけが歩けるくらいの狭い裏通りが非常に発達していますが、この楽しみ方を書いた本が、”ウイーン 旅の雑学ノート” 山口俊明著 ダイアモンド社です。1996 年に書かれており、文中で使われている通貨がユーロではありません。しかし、裏通りに関する記載が古びているということはありません。美術館ごとに何を楽しめば良いのか記載があって、非常に参考になります。絶版になってしまっているのが残念です。私は、中古の本屋(アマゾンの中古販売)で手に入れました。この本の続編が、'ウイーン旧市街 とっておきの散歩道'(ダイヤモンド社)から、2008年に出版されています。写真が豊富ですが、だいぶ雰囲気が変わってしまいました。観光案内書みたいになってしまったのは残念です。他に、'ウイーンのカフェハウス' 田部井著 東京書籍 2007 年、'ウイーン 小さな街物語' 須貝著 JTB  2005 年などの解説書がありますが、この2つのほうが、'とっておきの散歩道'より読み物としては面白いです。

 交通機関は、タクシー以外(路上電車、地下鉄、バス、ウイーン市内の近郊電車 S-Bahn)は公営で、共通チケット(Netzkarte)を使います。Netzkarte には、当日有効、3 日間有効、8 日有効・・・といったように様々あり、自分の都合に合わせて選べます。私は、学会期間中は、72 時間パス(Netzkarte 72-Stunden-Wien) を 2 セット使いました。費用は 12 ユーロ X 2 でした。(2006 年時点)

 オーストリアには、日本で見られる改札に該当するものがありません。有効期限のある Netzkarte は、最初の使用日のチェックだけは必要です。地下鉄の入場口(路上電車は、車内に設置してある)のところに日付印刷用の小さなボックスがあるのでそこに券を入れて、使いはじめの日付を記載します。違反者のチェックがたまに行われるそうですが、非常にたまにだそうです。一言でいえば、おおざっぱなシステムだと思います。 

 Netzkarte の金額は、乗車距離は関係しないと言われていますが、それは市内だけだと思います。ZONE を越えると高くなるようですが、ZONE については地図を見てください。市内 ZONE の南の端は中央墓地 (11 区)のあたりです。ウイーン国際空港、ウイーンの森、バーデンあたりは、ウイーンの郊外です。いずれにしても、市内観光の機会は多いと思います。Netzkarte を購入することをおすすめしたいです。下の写真は 72 時間通用の共通切符です。名刺サイズです。数人で、延べ 8 日分使える 8-Tage-Karte や、市内観光施設の割引もついた Wien Karte(72 時間の交通網フリーパス付き)などもあり、事前によく検討してください。ウイーンが全く初めての経験で、3 日以上滞在するのであれば、Wien Karte はおすすめです。

 ヨーロッパも、切符類のチェック方法は、一律ではありません。イギリスに住んで居る方に聞きますと、ロンドンでは、チェックは日本並に、かなりきっちりしているそうです。

 

 

 

 上図は、ウイーン旧市街の簡易模式図です。上側が北です。リング (ドイツ語読みだと、”リンク”)と呼ばれる路面電車と地下鉄のレールで描かれる輪の上と中に主だった建物が存在します。古くは、このリングの位置に防御壁があったのです。現在は、壁は壊され、ウイーン市は、23 区という広い区画から成り立っています。旧市街は、1 区(Innere Stadt) です。上記の円の中が 1 区ということになります。1 区に重要な美術施設のほとんどが集まっています。

 リングの形から、東京の山の手線の輪を連想しますが、はるかに輪の直径が小さいです。山手線の 1 周は、34.5 Km ですが、リングは 5 Km ほどしかありません。大人の足であれば、1 周 1 時間と少しで歩けることになります。直径で 1.8 Km ほど。奇しくもシカゴの市街地と同じくらいの広さです。リングの輪の端から端まで、地下鉄で 11, 2 分ほどしかかかりません。

 ウイーンの中心はステファン寺院(1 区の中央)と国立オペラ座(1 区の南の端)の間の部分です。この部分は、道路ではケルントナー通りに相当し、ウイーンの目抜き通りです。

 上図に記載した、すべての施設は、第1級の美術建築物です。南西方向に、シェーンブルン宮殿 (13 区)があります。 図ではカールスプラッツ駅からすぐ近傍に見えますが、実際は 4 Km ほど離れていることに注意してください。ベルベデーレ宮殿 (3 区)は、リングからは1 Km ほどの距離です。

 2006 年は、南方面へ足を伸ばしてみました。モーツアルトやベートーベンのお墓参りをしたのです。すると、かなり遠方まで市街地が延びているのがわかります。小さいとはいっても、旧市街地が小さいだけで、ウイーンの街は、全体としては、かなりの大きさと言っていいいと思います。



路上電車の車内。出入り口近くにボタンがあって、これを押さないとドアが開きません。
日本のバスと違って、停留所では、乗り降りする人がいなくても、必ず止まるみたいです。

 学会の会場(ヨーロッパ放射線学会の開かれるオーストリアセンター)周辺は、 国連都市 (Unno city) があるので、パスポートの提供を求められることがあるそうです。会場へ行く時は、必ずパスポートを持って行きましょう。偽警官にパスポートを盗られるケースが頻発しているようなので、それだけは注意してください。偽警官の見分け方は、ガイドブックに書いてありますが、警察手帳と名刺を提示させるのだそうですが、見て分かるのでしょうか。私はあまり自信ないです。

  3 月のウイーンは、まだ冬です。2005 年は 1 日おきに雪が降りました。例年に比べて、2005 年は寒いとのことでした。2006 年は 2005 年に比べれば暖かでしたが、雪が何日か降りました。しかし、さすがに観光都市なので、雪が積もっても全く支障がありません。雪かきがすぐ行われます。少々つもっても、小砂利がまかれてすべることはありません。普通の靴で困ったことは一度もありませんでした。店の前の雪かきをすることが法律で定められているのだそうです。店の前を歩いた人が、すべって転んでけがをすると、その店が賠償を請求されます。

 ウイーンに行ったことがある同僚の話では、犬のフンが路上に多くて、困ったとのことでしたが、雪かきが行われるせいか、そういう経験は全くありませんでした。確かに、犬の散歩をしている人は目立ちます。電車にもよく乗っています。また、犬にかまれてけがをする人は少なくないようです。


Volkstheater 付近:この近くに美術史美術館、自然史博物館、マリアテレジアの像があります。



Oper 付近。シュテファン寺院周辺と並ぶ、ウイーンの中心地です。かなりの交通量があります。

 

 上の写真は、ウイーンの目抜き通りのケルントナー通りです。撮影したのは、夜の7時半頃だったと思います。このくらいの時間であれば、夜でも、多くの店が開いています。人通りも多いです。ただし、土曜日は早々としまってしまいますし、日曜日は原則休みですので、注意が必要です。

 街の安全性に関してはよくわかりませんが、日本よりも危険という印象はありません。スリや偽警官(パスポートを取り上げられないよう要注意)が問題になるくらいのようです。ガイドブックに書いてある以外のところには行ってないのでよくわかりません。夜遅くも歩いたことはありませんし・・・。観光客が行くのが危険な地域もあるそうですが、アメリカとは違って、ごく一部みたいです。

 

市営の自転車です。60 分まで無料。それ以後はティケットを買って使います。暖かい時期にはいいでしょうが・・・。

●  食事、レストラン

 朝食、昼食は、ホテルでとっても良いでしょうが、高いので、外で食べたいところです。もっといえば、朝食付きのホテルを予約するのがベストです。朝食なしのホテルが結構多いのです。こんなところで稼がないでくださいと、わたしはホテル経営者に言いたいです。

 

 2006 年、2010 年は、朝食込みのホテル (Vienna Hilton) に泊まりましたが、これがベストでしょう。Hilton の朝食はバイキング方式ですが、かなりの種類があって、おすすめです。

 レストランは高めですが、上記のガイドブック(地球の歩き方)の記載は信用できます。せっかくウイーンまで行ったのですから、夜はけちけちせずに、きちんとした店に行きましょう。夕食は、ガイドブックに書いてあるレストランを毎日のように回ってきましたが、期待は裏切られませんでした。

 ガイドブックに書いてない店もかなりあります。必ずしも、そういう店が信用できなかったり、食事がまずかったりするわけでもないようですので(ウイーンに 2 回、それも 1 週間ずつなので、確かめられるわけがありませんが)、あまりガイドブックにこだわらなくても良いと思います。人が半分以上入っているような店は、たいていは大丈夫ではないかと思います。一般に、店員は、日本人には親切です。

 Oper 付近には高級飲食店が多く、ウイーン西駅周辺やシュテファン寺院付近には、庶民的な飲食店が多い印象があります。ただし、Oper も地下街に入ると、かなり庶民的な店が並んでいます。寿司の売店もあります。日本の寿司と少々違う印象で、買う気になれませんでしたが。飲食店には、予約が必要な店がありますので、その点は注意してください。こじんまりとした店でも、混んでいて予約なしでは入れないことがあります。特に、金曜日と土曜日は、上記ガイドブックに出ているような店は混んでいます。こういう時はあっさりあきらめて、翌日の分を予約しましょう。観光の街なので、どこへいっても食事が取れない、などということはなさそうです。シュテファン寺院付近を歩いていれば、どこか開いている店があると思います。ただし、客が全然入っていないとちょっと心配ですね。

 有名な飲食店は、ステファン寺院の周囲にあります。創業 300 年近いレストラン(オーエンロッホ)にも行きました。行ってみると、やや古い店というだけで、ごく普通の小さなレストランなのです。考えてみたら、300 年前に、レストランの基本形態が、もうできあがっていた、ということで、これはすごいことだと思いました。下の写真は、その 300 年の歴史を誇る、オーフェンロッホです。

 アメリカとウイーンのレストランで大きく違うのは、アメリカでは、要求しなくても、パンが付いてくることです。アメリカのレストランで、パンを要求したら、"I do'nt understand." と給仕の人に言われました。要するに基本仕様の中に含まれている。逆に、ウイーンでは、パンがなく、メニューに見あたらないので、要求できませんでした。ドイツ語のメニューなので、わからなかったのかもしれませんが・・・。周囲を見回しても、パンを食べている人がいないので、そういう習慣がないのかなと思いました。

 アメリカ人に比べると、肥満傾向がないように思えます。もしかすると、主食のパンの摂取量が関係しているのかもしれません。私の勘違いかもしれません。わかっている人は、私にメールください。ドイツ系の家庭では、朝、昼たっぷり食べて、夜は少なめという形が一般的なようです。これが肥満している人が少ないことと関係しているような気がしています。

 上の写真は、優月のお寿司。日本と見栄えも、味も変わりありません。これで 13 ユーロと安いです。ただし、月ー金のランチタイムのみ。

 日本料理店は、3つほど経験しました。寿司店の優月(王宮近く)と和食の天満屋(カールスプラッツ近く)、中華料理の青島(ウイーン西駅近く、ほとんど構内)です。天満屋がもっとも高級でした。値段も結構いってしまいます。天ぷら、刺身中心の和食店です。天ぷらのセットで、29 ユーロ(4500 円ほど。2006 年当時)でした。日本語も通じるし、一瞬、日本に戻った気分になります。

 優月の寿司は、味は日本と同じで、値段も日本の 1 .5 倍くらいで満足できました。緑茶が有料(3 ユーロ)だったのには驚きました。日本人以外に対応している日本食の寿司店も少なくないそうで、そういう店では甘ったるい寿司が出てくるそうです。優月では、日本語は通じません。

 中華料理の青島は安いですが、高級感がないので、友人同士ならともかく、お客さんを連れて行くのは抵抗があります。麺類は腰が弱かったです。弾力性もほとんどなく、日本の麺とはちょっと違っています。おいしかったのは、エビのシューマイ。これはうまい。安いし。

 もっと高級な店としては、グランドホテル内の”雲海”があるのですが、値段もすごそうなので、私は行きませんでした。

 日本食レストラン情報が、ウイーン観光情報にあります。アクセスしてみてください。

 上の写真は、ホテル・ザッハー 1 階のカフェーの定番、ザッハートルテとメランジュ・コーヒー。あわせて、8 ユーロでした。メランジュは、メラージュともいうようです。これはおいしいです。自分でも作れるようにしようと考えています。ホテル・ザッハーの店内は非常にきれいですが、特に気後れすることもなく、普通に楽しむことができました。

 カフェーは、市内にいっぱいあり(軽食の店も含めるとウイーン市内に 2000 軒ほどあるのだそうです)、オベーラ(結構有名らしい)というカフェーにもいきましたが、昼間から、若い女性や中年の女性がいっぱいで、仕事をしている人達とは思えません。ドイツ語なので何をしゃべっているのかわかりませんが、食事している私の隣で、2 時間以上にわたって機関銃のごとく、しゃべりまくっていて、すごいという感じでした。男性はちらほらしかおらず、しかも、黙って座っているので、かなりめだちます。

 カフェーは、音楽と並ぶウイーンの象徴です。オーストリアにコーヒーが入ってきた時期は、むしろイタリアなどに比べて遅いそうですが、芸術を語るウイーン人の気質に合ったらしく、めざましい発達をしました。この解説をしているのが、東京書籍の'ウイーンのカフェハウス' 田部井朋美著 2007年です。この本はウイーンに行く方にはおすすめです。この本に、ひとつ間違いを見つけました。バッハの墓は、ウイーンにはありません。バッハの墓は、ドイツのライプチッヒ(聖トーマス教会)にあります。バッハは、生涯ドイツから外に出ることはほとんどありませんでした。他の作曲家と勘違いされたようです。でも、いわゆるクラッシック音楽家の多くが、ウイーンに住んでいたことは間違いありません。

 


有名なフィグルミューラーの巨大ステーキ。皿からお肉があふれています。
皿が小さいのではなく、お肉が大きいのです。

買い物と税金、チップ 

 日本・アメリカと違って、24 時間コンビニエンスストアに該当するものがありません。しかし、夜 8 時くらいまでであれば、開いている値段の安いスーパーが結構あります。スーパーの大部分は、日曜日はしまっていますので要注意です。

 国鉄の駅の周辺のスーパーのみ、日曜日も開いています。ウイーン中央駅のスーパー SPA は、日曜日でも、夜の 23 時まで開いていました。自分で購入しましたので間違いありません。これは、大きな国鉄駅の近くにホテルをとったことのメリットの一つだと思っています。

 生鮮食品などは秤り売りなので、注意しましょう。初めての経験だと、たぶん普通の日本人は購入することができないと思います。私の場合、困っていたら、地元らしいオーストリア人が手伝ってくれました。食品のナンバーを入力し、自分で重さをはかり、でてきたラベルを袋に貼って会計に持って行くのです。測り終わってから袋に追加することも可能なんじゃないか、と心配したくなりますが、そういう人がいないのか、それとも見て見ぬふりなのか、成熟した大人の社会を感じます。あるいは、そういうことを管理するための人を配置することは無駄である、という経済的合理性を斟酌した結果なのかもしれません。商品の種類と重さだけで値段が決まるのですから、部分買いができます。これは相当合理的な気がします。日本のスーパーでは、あらかじめ袋に値段が書いてあって、必ずその一袋を全部買わなくてはならないので・・・。

 ユーロを現地の両替屋で交換するのは非常に不経済です。日本で交換していきましょう。トラベラーズチェックは全く役にたちません。カードは有効ですが、おおむね 20 ユーロ以下の費用の支払いには、カードを受け付けてくれない可能性が大きいので注意してください。

 チップは 原則10 %です。アメリカの標準の 15 %と比較して安いです。日本人はチップを払わない人達として有名みたいです。払わなくても、アメリカ人のように怒ることはないようですが、常識を知らない人達として扱われてしまっています。注意しましょう。

 すべての買い物(書籍は 10%) に 20% の間接税がつくので要注意です。税金は申告すれば戻ってくるようですが、面倒です。私はあきらめてしまいました。本を 3 万円分くらい買っただけですので・・・。

 おみやげ物は、あまりないと考えたほうが良さそうです。モーツアルトチョコレートと皇后エリザベートの写真集くらい。チョコレートはアメリカと比べても安いです。空港で買っても、スーパーとそんなに値段が違わないので、空港で買ってもいいと思います。思い出を大きなおみやげにしましょう。

 医学書などの書籍も、購入は最小限にしたほうが良さそうです。昔、出版のアナウンスが出ていながら、日本の丸善から、”しばらく販売されそうもないので、あきらめてくれ”、というメールが来ていた、Dyanamic MRI in Oncology という本が販売されていたので、思わず買ってしまいましたが、かなり高い。RSNA で医学書を買うことは絶対のおすすめ(学会割引、複数冊購入するとさらに割引があります。)ですが、ECR では、必ずしもおすすめできません。

 電気製品は高いと考えてください。現地の人のホームページを読むと、誰でもが、電池が非常に高いと嘆いています。電気製品全般に高いのですが、電池は飛び抜けて高いようです。私は、行く前に、この情報を見たので、デジカメ用の換え電池を大量に持って行きました。しかし、泊まったホテルで日本製の充電器が使えたので、電池が大量に余ることになってしまいました。

 グリーンティーというのがパックで売っていますが、買って飲んでみたところ、グレープジュースでした。炭酸水というものが売っていますが、日本の炭酸水とは別ものです。強烈な味がします。

 

● 音楽会

 音楽会が毎日のように開かれています。観光客用の音楽会も開催されており、あちこちの道端で、勧誘が行われていました。演奏会は、大部分が夜に開催されています。week end のみは、昼間も開催されています。演奏会はほとんどがクラシックです。もっとも、私が室内合奏を聴きに行ったコンチェルトハウスでは、別の会場で、タンゴの音楽会をやっていましのたで、探せばあるのかもしれません。わざわざウイーンに行って、ロックを聴くのはもったいないような気もします。

 オーストリアに行ったのだから、ウイーンフィルを聴きたいという方もいるでしょうが、はっきりいって無理です。地元の定期会員で埋まっています。音楽会の切符入手に関しては、ウイーン観光情報が役に立ちます。

 日本人のドクターと話をする機会がありましたが、言葉もわからないのに、オペラを見にいく方が多いそうです。国立オペラ座の席(立ち見席も一番前についているそうです)には英語の字幕モニターがついているので、ある程度はわかるのかもしれませんが、その画面を見ていたら、舞台のほうは見ることができません。

 VolksOpar という劇場のオペラは、オペラ座に比べると、ちょっと格下ということになっていますが、観劇したい方は、3 週間以上前に日本にいるうちにオーダーしないと、チケットは手に入りません。切符は日本で受け取ることになります。特に、2005 年は、” Sound of Music”が公開されたばかりで、是非聴いてみたく、いくつかのチケットセンターで交渉しましたが、全く席が取れませんでした。

 私は、ウイーンフィルはあきらめて、コンチェルトハウスに Camerata Salzburg の演奏会を聴きにいきました。Camerata Salzburg は、内田光子さんのピアノ・指揮でモーツアルトのピアノ協奏曲の伴奏をしていることで日本でも有名です。50 ユーロの席(なんと前から 3 番目)でしたが、プレミアム 12 ユーロをつけて、購入することができました。

 カールスプラッツ周辺には、音楽会のチケット売り場があちこちにあるので、交渉次第で、直前でも購入することができます。日本人のガイド屋さんに頼んだところ、上記の Camerata Salzburg の演奏会のティケットは、手に入りませんでしたが、カールスプラッツの地下のチケット屋さんではあっさりと手に入りました。下の写真は、そのチケットです。さすがに、音楽の国です。おおむね日本の半額くらいの値段ではないでしょうか。国からの援助が多いのだと思います。

 安い席や立ち見席は、舞台が良く見えないらしいので、安く気持ちの良い思いをしようとは思わないほうがいいみたいです。立ち見席は寄りかかるところもなく、結構疲れるみたいです。一点豪華主義で、1 日だけに絞って、いい席で聴いたほうが良い思い出になるのではないかと思います。私自身はクラシック音楽ファンですが、レコード・ CD 派なので、それほどは生演奏には執着しておりません。

 上の写真は、コンチェルトハウスの大ホールの内部です。非常に美しい内部装飾になっています。コンチェルトハウスには他にもホールがあります。聴きに来ている方は、中高年の人がほとんどです。服装は、正装で行くべき、とガイドブックに書いてありますが、みんな正装しているわけではないです。しかし、ジーパンは避けたほうが良さそうです。クラシックの音楽会なので、ジーパンだと周囲から浮きます。スーツ、ネクタイは着用していったほうが良いのではないかと思います。東洋人は目立つので、要注意です。オペラ座のほうが人気があり、日本人がよく聴きに行くのだそうですが、ジーパン姿で浮いている日本人が結構いるのだそうです。浮いていると、じろじろ見られて、気になって音楽どころではなくなってしまうそうです。もったいない話です。

● 音楽家たちのお墓

  オーストリアでは、法律により、中央墓地(ウイーン市 11 区)という、ウイーンのはるか南(市内ではあるが南の端)の墓地にすべての人間を埋葬することになっています。古い遺体も移動することになりました。ところが、困ったことに、モーツアルトの遺体が、ザンクトマルクス墓地にあるというだけで、そのどこなのか、行方不明なのです。仕方ないので、形だけ中央墓地にモーツアルトの墓を作りました。というわけで、モーツアルトの墓は、ザンクトマルクス墓地(3 区)と中央墓地の 2 カ所にあることになってしまいました。ザンクトマルクス墓地は、ウイーンの中心から近くにあります。

  中央墓地では、有名な人達は、ジャンルごとに一カ所に集められています。音楽家もひとつの区画に集まっています。中央墓地は、かなり広いため、探しにくいのですが、探しあててみると、有名な音楽家のお墓がずらっと並んでいるのは壮観です。中央墓地には、入り口(門)がいくつかあります。音楽家の墓があるのは、#2 の門です。うっかり #1 の門のところで路上電車を降りてしまうと、かなり歩くことになります。路上電車で一駅分の距離です。雪の中をこれだけの距離を歩くのはかなり大変です。

 音楽家の墓に詣でるという習慣は、ほとんど日本人に固有なものだそうで、ここで、東洋人に会ったら、日本人であると考えて良さそうです。音楽家の墓の位置を尋ねる日本人があまりに多いため、墓地の管理局では、日本語の案内パンフレットを作り、現地で配布しています。


ザンクトマルクス墓地



モーツアルトの墓は丘の頂上付近にポツンと離れてありました。(ザンクト・マルクス墓地にて)

 上の写真は、ザンクト・マルクス墓地(ウイーン、第 3 区)のモーツアルトの墓です。正式とされる墓は、はるか南の中央墓地(ウイーン、第 11 区)にあるのですが、本当の遺体が見つかっていないのですから、どっちが正式か言えません。少なくとも、亡くなった当時は、この墓地に埋葬されたのです。後に、中央墓地に移されたのですが、形だけのことになってしまいました。ベートーベンに比べれば、当時のウイーン人の評価は、モーツアルトには厳しく、葬式も簡素で、どこに埋葬したのか全くわからないという状況になってしまったのです。モーツアルトの音楽の繊細な美しさがわかる人は、ウイーンでもそう多くはなかったということの証明になっています。

 モーツアルトの死因については、はっきりしたことはわかっていません。発疹と発熱があったということなので、猩紅熱、敗血症、麻疹あたりではなかったでしょうか。治療として瀉血(簡単に言えば、血抜き)が行われたことが、死期を早めたとされています。

 昨日(2006 年 3 月 5 日)、一昨日と、降り積もった雪で埋まった丘の中に、モーツアルトの墓はありました。雪の中を丘の上まで登っていくと、墓は、頂上近くの左側にありました。墓の横に立っている天使と折れた柱の彫刻は、モーツアルトのために専用に作られたわけではなく、寄せ集めで作られたのだそうです。しかし、天才の早すぎる死を悲しむ天使の像が非常に良く似合っています。

 30 歳を越えてから、モーツアルトは、曲を買ってくれる貴族の評価を気にしないで音楽を書くようになり、妻コンスタンツエの浪費と相まって、困窮を極めていくことになります。30 歳以降に作られた作品は、大空をたった一人で飛ぶ鳥のような作品群です。恐ろしいほどの孤独・・・・。もっと生きていればと思う音楽愛好家は多いです。しかし、曲を買ってくれる人が減っていく中で、健康だけ良好でも、つらいだけの世の中だったのではないでしょうか。いい作品ができたと自負しても、全く売れない。最晩年は借金だらけの人生でした。貴族達が求めたのは食事時の伴奏音楽、もしくは自分の娘達の演奏会用の作品でした。モーツアルトには全くそぐわない作品でした。貴族というシステムがなければモーツアルトという音楽家が世の中に出ることはなかったと思われます。しかし、貴族というシステムは結局、モーツアルトを最後まで助けてくれたわけではありませんでした。最後の作品のレクイエムは、自分および自分の音楽のためのミサ曲でもあったようです。日本人は、気軽に、モーツアルトのレクイエムを聴きますが、つらい音で聴いていられないという方も少なくありません。

 中央墓地のモーツアルトの墓は、大きく立派ではありますが、そっけないです。モーツアルトには、ザンクトマルクス墓地のほうがふさわしいです。墓には花がいっぱい添えられていました。詣でるのは日本人が多いのだそうです。ザンクトマルクス墓地から帰る途中で、日本人らしい人がのぼってくるのとすれ違いました。軽くうなずきあいました。日本人にしかわからない挨拶でした。ちなみに、モーツアルトの生家の修復などは、日本人の愛好者の寄付が役にたっているそうです。日本はモーツアルト愛好家の多い国として有名です。

 


こちらは中央墓地のベートーヴェンのお墓です。

これはブラームスのお墓です。左隣はヨハン・シュトラウスのお墓。

シューベルトのお墓

● 観光

 普通の店と同じく、美術館も日曜日は休むところが結構多いので、注意が必要です。日曜日に、美術館に行くか・・・などと考えていると、休みで見に行けなかったりします。どうしても日曜日しか取れないのであれば、やっている美術館も少数ながらあるので、そういうところを見に行っても良いでしょう。

 私だって、そんなにあちこち見にいったわけではないので、どこが良いですか、などと聞かれてもわかりません。しかし、どこへいっても、後悔しないかもしれません。少なくとも、私が見に行ったところはすべて良かったです。どうしても、ということであれば、王宮とシェーンブルン宮殿、ステファン寺院をあげたいと思います。王宮には、高級な調度品(おおむね食器類)が大量に並べてあります。建物を見るのもいいでしょうが、大量の豪華な食器類を見ると、いかにハプスブルク家が巨大であったか、よくわかります。シェーンブルン宮殿は、ハプスブルク家の権力を誇示する大規模な宮殿です。これを見なければ、ウイーンに行ったことにならないそうです。

 ウイーンには、美術や音楽関係の日本の留学生が多いのですが、美術系の学生がウイーンの美術館系の建物をすべて回ってみたら、3ヶ月くらいかかったそうです。オーストリアには、他にも、インスブルック、ザルツブルクなど、美術関係の宝庫です。オーストリアをきちんと見ようと思ったら、1年くらい休職しなくてはならないようです。

 観光の見所はあちこちあるようですが、それはガイドブックにおまかせします。しかし、オーストリアの歴史を知らなければ、いくら豪華な施設を見ても、得られるものはほとんどないでしょう。”なんて、豪華な宮殿なんだ! 昔は、お金もちだったのね。” それで終わり。そうではないのです。シェーンブルン宮殿の建設費にしても、東側から浸食してくるトルコ軍との戦費に余裕ができたから、出せたのです。

 日本語ガイド付きの観光バスツアーが豊富にありますので、到着したら、早めにこれを使うのがいいと思います。1 回市内を回れば、だいたい街の状態がつかめてしまいます。街が小さいからです。日本からも予約できますし (http://www.myushop.net) 、前日の 10 時までなら、現地でも予約できます。日本人のいる店(ミキトラベル)が、国立オペラ座の裏にあります。3 時間ほどでウイーン市内を 1 周してくれ、シェーンブルン宮殿の見学までできます。

 見学先にはたいてい、日本語の音声ガイド(大型の携帯電話みたいなもの)が付いていますので、必ずしもガイドを頼まなくてもいいかもしれませんが、こちらからの質問もできるし、少なくとも初日の1回くらいは、人間のガイドを頼んだほうが良いのではないかと思います。最初に、路上電車でリングを一周してみるのもいいと思います。いくら乗っても、値段が変わりません。ただし、一人でウイーンに行って、最初の日からそれができたら偉い!初めてだったら、切符の買い方も、バスや路上電車の乗り方や降り方もわからないと思います。

 

これは、”モーツアルトハウス”です。以前は、”フィガロハウス”と呼ばれていました。
この家で、弦楽四重奏ハイドンセットが初演されたのです。ハイドンが臨席していました。
内部は資料館になっています。日本語の音声ガイドがついてきます。日本語の説明書もあります。

 ウイーンでの最終日に、CAT のチェックインシステムを利用して、荷物をあずけ、世界一美しい図書館(本は古いものだけで、手に取ることはできません。)と言われている国立図書館とベルべデーレ王宮美術館にクリムトを見に行きました。

ヨーゼフ広場、おおむねこのあたりに王宮関係の建物が並んでいます。

世界一美しいとされているプルンクザール国立図書館。王宮のすぐそばです。王宮に行ったら、是非とも寄りましょう。

 

ベルベデーレ宮殿。北と南に分かれていますが、こちらは北側です。

Klimt の絵があるベルベデーレ王宮美術館にて。オーストリアの誇る美術家の Klimt の絵は素晴らしいです。
美術史美術館より、こちらを見に行くことを推奨します。
なお、Klimt の絵はあちこちの美術館に散らばっているようです。でも、”接吻”があるのは、ベルベデーレです。

もし、余裕があれば、ウイーンの森にも足を伸ばしてみましょう。
日本語ガイド付きのツアーで行くのがおすすめです。

ウイーンの森のハイリゲン修道院にて。

● 地下鉄について

 いちいち、切符をチェックするシステムがないので、本当に便利です。乗り換えも容易で、日本のように、乗り換えるために、長々と歩かないで済みます。最近、日本でも、荷物の多い時のためのエレベータがようやく設置されるようになりましたが、ウイーンでは、エレベータの設置が常識になっています。日本より小さい街に、地下鉄がはりめぐらされているので、市内であれば、ほとんどどこの場所にでも、20 分以内に着くことができます。

 

学会会場のあるカイザーミューレン駅。ドナウ川を渡ると、地下鉄は高架を走ります。


地下鉄のホームの色は赤で統一されています。


  地下鉄のドアは自分で開けなくてはいけないことに注意してください。これはある意味で合理的です。乗り降りする人がいない時は、ドアをしめておいて、寒気が入るのを防げるからです。日本の国鉄は、時間待ちの時に、ドアを開けっ放しにしてくれます。冬などは一気に寒くなります。ただし、ドアを開けるのには力がいるので、力の弱い人のために、ドアを誰かがあけてあげる必要があります。

 ヨーロッパは、社会的弱者への親切が徹底しています。もっとも、ヨーロッパの女性は非常に力持ちなので、ほとんどの場合、自分でドアをあけています。女性の筋力が強いのは驚くほどで、バスにも平然と自分ひとりで乳母車を乗せてきます。ほとんどの場合、誰も手伝いません。

 


タクシー以外の公共交通機関の切符は、上の写真のような自動販売機で購入します。
自転車用のチケットも自動販売されています。
まずは英語モードに切り替えます。お札を入れる方向が違っていると購入できません。


期限付きの切符(Netzkarte) は、使い始めの日にボックスに入れて日付を印刷しなければなりません。
逆に、いつ買ってもいいわけで、あらかじめ、ウイーンにいる間の切符を買っておきましょう。

ホテル(ウイーン)の予約

  高級ホテルは、カールスプラッツ周辺にあります。シュテファン寺院付近は、飲食店が多く、大きなホテルはほとんどありません。カールスプラッツは、わかりやすく言えば、市の中心の国立オペラ座のあるところです。周囲には美術建築物が大量にあり、大きなショッピングセンターがすぐ近くにあり、非常に便利です。ウイーンの目抜き通りのケルントナー通りの端にあります。一泊 5 万円以上するようなホテル(ザッハー、インペリアル、ブリストル、グランド)もここのあたりにあります。中には安い小さなホテルもありますが、学会期間中は、あっという間に埋まってしまうみたいです。

 もう一つ良さそうなのは、ウイーン西駅の周辺です。自分で泊まったことはないので断言はできませんが、買い物ができる店も多く良さそうです。高級街のカールスプラッツ周辺と比較して、ウイーン西駅のほうは、庶民の街と言えそうです。ウイーン西駅の周辺には、4 ★クラスのホテルがいくつか並んでいます。ドイツ方面やザルツブルク、インスブルック方面に行く予定のかたは、ウイーン西駅の周辺がベストでしょう。西方向への列車の始発駅になっています。下記の写真は、ウイーン西駅周辺の繁華街です。

 ホテルには、★マークがあります。5 個の★が満点で、超高級ホテルです。私が 2005 年に泊まったホテルは、Vienna Marriotto で、5 ★ (4 半★★★★☆に扱っている紹介ページもあります)でした。一泊 230 ユーロで、5 つ★の中ではかなり安い部類に属します。2006 年は、Hilton Vienna でした。ここも 5 ★です。ヨーロッパのホテルは、上下の差が激しく、4 ★でも、サービスがかなり低下してしまうという話を、何回か参加しているドクターから聞いたので、5 ★ホテルにしました。

 Hilton は、やや狭く、調度品もやや安っぽい感じでしたが、私は、Marriotto よりも気に入りました。なんといっても地下鉄まで 1 分ほどで行けるのがいいです。これがいかに便利かは、行ったことがある人に聞けばすぐ了解されます。地下鉄に乗れば、市内であれば、どこへでも 20 分以内に行くことができます。もうひとつ、Hilton は、Marriotto とほぼ同じ値段で、朝食が付いているのがいいです。朝食はバイキング方式ですが、結構豪華です。

 Marriotto も路上電車の駅の前にあるので、それほど交通の便が悪いわけではないです。 

 とにかく安ければ良いという人は、 旅行の口コミサイトフォートラベル あたりで探してください。アメリカと違って、安いホテルで不愉快な思いはしても、命には影響しないと思います。安いホテルは、床がギシギシいったり、お湯が十分でなかったり、トイレが共用だったり、従業員がドイツ語しか話せなかったりするそうなので、そのあたりは覚悟が必要みたいです。(4 ★だとあたりはずれがあるようです。良かったという人もいます。上記旅行の口コミサイト参照) 3 ★以下は、やめておいたほうが良いみたいです。寝るだけと割り切ればいいのかもしれません。

 口コミ情報が書いてあるホテルは、4★ホテルがほとんどなのです。文句を書いている人と良かったという人が半々くらい。5 ★ホテルは文句をいうようなホテルではないし、文句を書くような人は 3 ★以下のホテルには泊まらないということなのだろうと理解しています。

 Marriotto では、高速インターネットが使えました。しかし、1 日で 19 ユーロ(約 2500 円)と、非常に高いです。アメリカがおおむね 1 日で 10 ドルくらいであることが多いことを考えると異常な高さだと思います。スピードは ADSL 程度で、あまり速くありませんでした。Hilton も有料でした。スピードは、100MBPS なので高速です。あまり使っていないつもりだったのですが、1 日で 12 ユーロほど。こちらは使用時間に応じて課金されるみたいです。

 インターネットに関しては、本当のことは実際に泊まってみないとわからないと考えています。”高速インターネットが使いたいのです。”、その返事 ”大丈夫うちのホテルでは高速インターネットが使えます。”これが全然あてにならないことに注意してください。実態はいろいろです。ロビーに 1 台だけ使えるパソコンが置いてあるだけ、なんてこともあるようです。どの部屋でも使えるわけではなく、使える部屋は高価(ヒルトン系)ということもあります。使えると書いてあってもモデムだったりします。しかも、有料だったり、ホームページに書いてあることが違ったり(中には、英語版と日本語版で違ったことが書いてあるホテルもあります)、あてにならないことおびただしいです。

■ 現在わかっているインターネットが部屋で使えるホテル一覧(ただし、自分で使ったわけではありません)
   Le Meridien (高速かつ無料)
   Marriotto(1 日 2500 円)
   Vienna Hilton (有線 LAN 2 時間 12 ユーロ、24 時間 24 ユーロ、無線 LAN:2 時間 12 ユーロ、24 時間 24 ユーロ)
   Europa Wien(無料)
   Domizil
   Roemischer Kaiser Best Western
   K+K Palais  

 Marriotto ホテルには、湯沸かし、ポットがありませんでした。Marriotto だけのことではないようです。ホテルの規約を見ていてわかったのですが、 オーストリアの法律で、”アースされていない電気機器、個人用の電熱湯沸かし器(ヒーターが中にあるタイプ)、アイロン”をホテルの部屋で使用することは禁止されています。 歴史的遺産だらけの国ですから、火事を極度に恐れているのだと思います。ホテルも歴史的遺産の一つなのです。ヒルトンには湯沸かし器が置いてあったのですが、電磁加熱方式なので、法律に触れないのだと思います。お茶もコーヒーも紅茶も、自分でいれて飲めないのは日本人には寂しいです。ホテルのサービスを使うべきだと、ホテルでは考えているのだろうと思います。ホテルによっては、お茶などは無料なこともあるそうです(コンシェルジュサービス)。

 ポットがあると、電圧が 220V と高いので、お湯はほとんど一瞬でわきます。これも、Hilton にして正解だったなと思えるところです。一応、日本からポットを持って行ったのですが、使用する機会がありませんでした(使ってたら法律違反だった!)。

   ウイーンに永く住まれた方から、コメントをいただきました。その方によると、”お湯をください。(I would like to have hot water for making tea. とでも言うのでしょうか。)”と電話でコンシェルジュに言えばいいのだそうです。一番最初は、質問など受けてしまって面倒かもしれませんが、2 回目からは、”日本人は好きですね”と簡単にお湯がもらえるのではないでしょうか。湯沸かし機能のないポットを置くのは全くかまわないので(火事になるはずもないし)、1 日に 2 回も頼めば、用が足りるのではないでしょうか。ポットの冷め方次第では、1 回でも十分かも・・・。チップは、1〜2ユーロほど。

Vienna Hilton に用意されていた電磁加熱方式のポット。この方式以外のポットはオーストリアのホテルでは使用不可。

 Marriotto ホテルには、110V のコンセント (220V との切り替えスイッチ付き)が用意されていました。Hilton には、110V 用のコンセントはありませんでした。Mariotto の 110V のコンセントには、日本製の AC アダプターのコンセントも差し込めました。日本から持って行った降圧トランスは、単なる荷物で終わってしまいました。トランスはかなり重いので、ホテルに事前に聞いておいたほうが良いと思います。そのコンセントは、洗面所にしかありませんでしたので、使う電気器具によっては、降圧トランスを持って行く必要があります。

 私の場合は、日本から持って行った電気製品は、デジカメの充電池とパソコンでしたが、洗面所でパソコンを使うわけにはいかないので、コンセントアダプターが必要でした。IBM のパソコンだったので、降圧トランスは必要ありませんでした。机の横のコンセントはヨーロッパ規格(220V でしかも日本から見ると特殊形状の差し込み口)しかありませんでした。コンセントの規格が、1 国の中でも、1 種類ではないので、アダプターも数種類を持って行く必要があります。

 秋葉原で、アダプターのセットを売っています。(私の家の近くのコジマ電機でも売っています。)大部分のホテルでは、C タイプと SE タイプで問題ないようです。必ず確認してください。といっても、ホテルの従業員は、このあたりの知識がないことが多いらしく、メールで問い合わせても、まともな返事が帰ってきません。予防的に、2つの規格のコンセントを持って行く必要があります。

 実際に見てみると、C type と SE type は似ているのですが、差し込みの棒の部分の太さが違います。ところで、2006 年まで、C と SE には、互換性がないと考えてきたのですが、実際に刺してみたら (2006 年に泊まった Vienna Hilton でのことですが)、両方ともきちんと刺さってしまいました。多少は余裕があるみたいです。たぶん、細いほうでもゆるまないように、バネ構造になっているのではないかと想像します。



ウイーン・ヒルトンの部屋のコンセント。ヒルトンでは、変換アダプターを用意してあるそうです。

 ウイーンの街は小さいので、ホテルをどこにとっても良さそうですが、晩秋から初春にかけて、ウイーンに行って、音楽会に行く機会があるのであれば、カールスプラッツの近くが良いと思います。会場がこの近くに集中しているからです。夜は猛烈に寒い上に、帰りのタクシーがありません。

 なぜタクシーが来ないのか知りませんが、最近になってわかりました。私の想像なので、間違っているかもしれません。現地の人は、すぐには帰宅しないのです。音楽ホールの周辺には、カフェーがいっぱいありました。そういえば、演奏が始まる前もカフェーで過ごすという話を聞いたような覚えがあります。あたふたと、直前にでかけ、終わったら、そそくさと帰宅する日本の演奏会風景とは違うのだと思いました。それにしても贅沢です。音楽の楽しみ方を知っているというか・・・。だから、タクシーが来ない。私の想像にすぎないので、正解をご存じの方は教えてください。私が宿をとった Marriotto からコンチェルトハウスまではわずか 5 分ですが、あまりの寒さに震え上がりました。特に、風が吹いているとすさまじい寒さです。寒さに強い私が言うのですから間違いありません。

 ホテルと飛行場の間には、いろいろな行き方があります。私は、荷物が多かったのと人数が 2 人だったので、タクシーにしてしまいました。飛行場で、往復タクシーのチケットを販売しています。往復で 38 ユーロでした。往復で買ったほうが、はるかに割安です。しかも、帰りの飛行機に合わせてホテルまで迎えに来てくれるので、すごく楽をしてしまいました。こういうのはアメリカのシカゴにはないサービスです。

 荷物が多くなければ、リムジンバスやシティエアーポートトレイン(CAT) もあります。荷物をひきずってもよければ、こちらのほうが安いです。ただし、CAT は、往復で 16 ユーロもするので、3 人いたら、タクシーのほうが安いということになります。別記するように、チェックインシステムを使うのであれば、CAT がいいです。

 飛行機は、2005 年は、フランクフルト乗り継ぎのルフトハンザ航空を使いました。探してみると、オーストリア航空、マレーシア航空、チャイナ航空、エアロフロート航空などが、東京ーウイーン直行便を持っています。乗ったことがない航空会社ばかりで、どれがいいのかわかりません。乗り継ぎが、必ずしもうまくいくわけではないので、直行のほうが楽だと思うのですが、日程の関係で必ずしもうまく直行便が使えるわけではありません。

 オーストリア航空などは、学会に合わせたように、直前(木曜日)と直後(水曜日)に直行便がないのです。日本の航空会社も直行便を扱っていますが、コードシェア便(実際は、他の航空会社)のことが多いようです。

 乗り継ぎ方式の場合、注意しなければならないことがあります。それは、乗り継ぎに要する時間です。到着時刻が遅れて、乗り継ぎが間に合わないことがあります。30 分くらいの遅れは遅れと考えられていませんし、1 時間くらいの遅れはざらです。同じ航空会社であれば、少々は待ってくれるのですが、違う航空会社だと待ってくれないようです。遅れれれば遅れるほど、航空会社が空港に払わなくてはならない空港使用料が増えるのでこれは当然です。乗り継ぎ空港での事務処理(パスポートチェックや荷物検査)を考えたら、乗り継ぎとの間隔は最低でも 2 時間は見ておかなくてはなりません。できれば 3 時間は見ておいたほうが安全だと思います。あまりに乗り継ぎ時間が短いと、人間は間に合っても、荷物の積み替えが間に合わないことがあります。

 2006 年は、フランクフルトまで ANA 、フランクフルトからウイーンまでは、Lufthansa でした。ANA の映画機能は大変すばらしく、見たい映画を選択すると、最初から始まります。また、先送りや巻き戻しもできます。パソコンはあまりいじらずに、映画ばかり見ていました。”博士の愛した数式”のできは大変すばらしく、原本はかなり前に読んだので細かい違いまではわかりませんが、もしかしたら、原本よりいいできなんじゃないかと思いました。この映画を見たことが、もしかしたら、ECR2006 に参加したことの最大の収穫なのかもしれないとすら思いました。私は、中学、高校時代、数学が好きで得意でしたので、普通の人とは受け取りかたが違うのかもしれません。なお、大学に入って、統計がでてきて、数学がすっかり嫌いになってしまいました。統計学に美しさはあるのでしょうか。

 ウイーン発の飛行機が午後になってしまうことがあります。ホテルのチェックアウトから、飛行機が出るまでの時間をどうしたら良いでしょうか。もう一度、市内を見たいと思っても、トランクがあると邪魔でどうにもなりません。これが実にうまい解決方法があるのです。それは、CAT (City Airport Train) のチェックインシステムを使うことです。ウイーン中央駅に、CAT(City Airport Train) の乗り場があるのですが、飛行機発の 24 時間前から荷物を受け付けてくれるのです。トランクをここに預けて、後はゆっくりできるわけです。非常に秀逸なシステムです。

 CAT は、各駅停車ではないというだけで、たいして速くないのですが、このチェックインシステムは非常に有効です。これがなく、帰りの飛行機までに時間があったとしたら、一度飛行場までいって、チェックインして、再度市内までもどってこなければなりません。しかも、荷物をそんなに早くチェックインさせてくれるかどうかわかりません。多くのヨーロッパ女性みたいに、力持ちで、スーツケース持ち歩いて市内見学ができれば、このチェックインは必要ないのだろうとは思います。対象の航空機会社は、オーストリア航空、全日空、ルフトハンザなど。すべての航空会社を受け付けてくれるわけではないようですが、日本人が使うような航空会社はたいてい大丈夫だろうと思います。


上記はとっても便利な、ウイーン中央駅の Checkin システム。飛行機の出発の 24 時間前から荷物をあずかってくれます。


こちらは、各駅停車。しかし、CAT が 9 ユーロなのに対して、こちらは同じところがわずか 3 ユーロです。

 

飲料水は、アルプスのわき水を引いているので、そのまま飲んで問題ないようです。ホテルで溜めている場合はわかりません。ホテルの水を飲んでみましたが、水は生ぬるく、おいしい、という印象はありませんでした。水は、スーパーで買うと安いです。

 

● インターネット・カフェ

 日本語の使える、インターネットカフェをご紹介します。Surfland という店です。国立オペラ座から 3 分で行けます。設置されたパソコンで、プリンター印刷、CDR 焼き込み、インターネット接続ができます。 インターネットカフェは他にもあるのですが、日本語が使えるところは少ないです。時間は、10 時から 23 時 土日もオーケー。基本料金 1.4 ユーロ。1 分あたり 0 .08 ユーロ(ただし、2005 年時)困った時には、使えそうです。2 時間借りたとしても 11 ユーロで、ホテルで一日使うより安い。ホテルでインターネット使えたとしても、2 時間以上使うことはまれでしょう。

 シュテファンプラッツの近くに、日本語が使えて、もっと安い使用料で使えるネットカフェがあるそうなのですが、現在確認できていません。もっと宣伝すればいいのに、と思うのですが、奥ゆかしいカフェです。街を歩いていると、インターネットのスポットは、市内のあちこちにあり、もはやホテル内の高速ではあっても、高価な LAN に頼る時代ではなさそうな気もしています。無料だったら、ホテル内にあるのがもっとも便利なわけですが。

ウイーン中央駅近くでみかけたインターネットカフェ。

日本語 OK と表示がありました。

 

● ザルツブルクへ

 日帰りでザルツブルクへ行ってきました。学会での講演が目的だったので、泊まるわけにはいきませんでした。ウイーンからは、列車の往復で 7 時間ほどです。朝 7 時頃の列車に乗り、夜、ウイーンに戻ってきました。滞在時間は、3〜4時間ほど。雪がかなり降っていました。でも、行って良かったと思っています。ヨーロッパでの列車旅行は初めてでした。列車は日本のものと、そう違うわけではありませんが、切符を買うためのノウハウが得られたことが大きいです。

 ザルツブルク市内は、排気ガスの発生を避けるために、トロリーバスが走っています。トロリーバスというのは、日本ではもう廃れた方式で、電線のケーブルが空中に張り巡られており、そこから電気を取って走る方式です。モーツアルトの生家までは、タクシーで行くような距離ではありません。雪がかなり降っていたので、歩くのは断念し、トロリーバスで行くことにしました。市内フリーパスの Salzburg karte がありますが、Wien karte と違って、あまりお得ではないようです。街が小さいですから・・・。

 モーツアルトの生家は、川を渡った旧市街にあります。表通りから少し奥に入っています。旧市街はかなり小さいです。周囲を山や川で囲まれているので、発展できなかったものと思われます。

 モーツアルトの生家に入った時は、熱いものがこみ上げてきました。モーツアルトの時代の古いピアノが設置されています。このピアノで演奏された CD が発売されていましたが、どこでも買えるものと勘違いしてしまい、買い損なってしまいました。ちょっと心残りです。

 モーツアルトの生家の天井は意外に低く、この時代の人達は、あまり大きくなかったのではないかと思いました。部屋は複雑に入り組んでいます。幼少のモーツアルトには、自由に駆け回れる楽しい家だったのではないでしょうか。

 

上の写真は、ホーエンザルツブルク城です。非常に険しい山の中に建っています。
下から見ているだけではよくわかりませんが、登って下を見ると、非常に切り立っています。


ホーエンザルツブルク城から見たザルツブルクの旧市街。

 

 

 

モーツアルトの生まれた家。中で、この部屋のピアノで演奏した CD を売っています。


ザルツブルグのモーツアルトの生家の前の通り。モーツアルトが生きていた時代そのままだそうです。
道路の舗装はしてなかったと思いますが。

● 列車で移動するときの注意

 国鉄の切符売り場が混んでいる時があります。日本と違って、切符売り場で乗る列車の相談をするからです。ドイツ民族は、切符売り場に来るまで、乗る列車を決めてこないのです。その場で乗る列車について駅員に相談するので、一人一人に時間がかかる。切符を買う順番を待っているうちに、列車が出てしまったという報告がネット上に相次いでいます。従って、下記のような注意が必要です。

 列車の種類はいくつかあり、停車駅、スピードが違います。ヨーロッパの都市をつなぐものや、オーストリアの国内のみを走るものなど。OEC, EC, ICE, IC, D, SPR, E など。要は自分の行きたいところに、できるだけ速くいければいいので、時刻表で調べてみればわかります。私は行きは IC(InterCity),帰りは、ICE(InterCityExpress) でした。鉄道に関しては、ダイアモンド社から発刊されている 地球の歩き方 BY TRAIN シリーズの”ドイツ&オーストリア鉄道の旅”の購入がおすすめです。

 

1) 前日までに切符を買っておくこと。

2) 切符を買う時は、紙に書いて、それを駅員に見せて購入すること。列車の時刻表は、トーマスクック時刻表 (ヨーロッパ全体の列車の時刻表です。amazon で買えます。)を使います。もしくはインターネットで検索します。時刻表を見ることは必須です。曜日によって運転する列車が違うことが頻繁にあるからです。

 切符をインターネットで購入することも可能ですが、説明がすべてドイツ語なので、堪能な方以外は避けたほうが良いとされています。

 駅員はドイツ人なので、英語の発音で駅名を言うと、誤解されて、違う駅の切符になってしまうことがあるそうです。紙に書かなければ、誤解を生むだけです。紙に書くのであれば、英語でも大丈夫です。

 日付は、日ー月ー年の順番なので注意してください。月は、数字でないほうがいいです。たとえば、2006 年 3 月 4 日にザルツブルクへ行くのであれば、To Salzburg on 4-March-2006 と書きます。4-3-2006 と書くと、4 月 3 日と 3 月 4 日を間違いやすい。

3) 始発から乗るのでない限り、座席指定がおすすめです。座席は日本と変わりません。乗る時間が長いので、座れないとつらいです。1 等にも乗りましたが、そんなに良い席ではないです。その割にはかなり値段が高価なのです。他に、荷物入れが大きいとか、部屋がガラスで囲ってあって、寒くないようにしてあるとかあるのですが、6 時間以上もかかる旅だったり、荷物が多くなければ、2 等でも十分でしょう。家族大勢で乗るなら、一等はおすすめです。ボックス席として使えるようなので。

4) 食堂車がついているなら、そこへ行きましょう。乗っている間中、食堂車にいる人もいるそうです。味は別にどうのこうのというようなものではないですが、席が広々としていて快適です。


オーストリア国鉄列車は、 ÖBB という略称です。

いつもはもっと混んでいる国鉄の切符売り場


国鉄の食堂車

 

航空会社安全度ランキング

2006 年 2 月 8 日号の雑誌 NewsWeek より 航空会社安全度ランキング トップ 30 社

(機体の年齢、機種構成、官制設備、運行体制、安全管理体制 (アメリカ連邦航空局 FAA の評価)、官民比率、経営などを元に評価 X 過去 12 年の事故件数の評価) 詳細は雑誌をご覧ください。

1 位 ルフトハンザ航空(ドイツ)
2 位 ブリティッシュミッドランド航空(イギリス)
3 位 ブリティッシュエアウエイズ(イギリス)
4 位 エア・カナダ(カナダ)
5 位 KLMオランダ航空(オランダ)
6 位 コンチネンタル航空(アメリカ)
7 位 カンタス航空(オーストラリア)
8 位 ルフトハンザシティライン(ドイツ)
9 位 フィンランド航空(フィンランド)
10 位 デルタ航空(アメリカ)
11 位 キャセイ航空(香港)
12 位 全日空(日本)
13 位 USエアウエイズ(アメリカ)
14 位 SASブローテン航空(ノルウエイ)
15 位 ラン・チリ航空(チリ)
16 位 スパンエアー(スペイン)
17 位 ユナイテッド航空(アメリカ)
18 位 アシアナ航空(韓国)
19 位 ノースウエスト航空(アメリカ)
20 位 オーストリア航空(オーストリア)
21 位 ニュージーランド航空(ニュージーランド)
22 位 ポルトガル航空(ポルトガル)
23 位 オーストリアン・アローズ(オーストリア)
24 位 スカンジナビアン航空(デンマーク、ノルウエイ、スエーデン)
25 位 エア・ノストラム(スペイン)
26 位 バリグ・ブラジル航空(ブラジル)
27 位 アメリカン航空(アメリカ)
28 位 エア・リンガス(アイルランド)
29 位 エールフランス(フランス)
30 位 エア・ヨーロッパ(スペイン)

 日本航空(JAL)は 284 社中の 62 位。あまり乗りたくない。乗り物に絶対安全はありえないとわかってはいるのですが・・・。それにしても、JAL が 2003 年に倒産騒ぎを起こしたユナイテッドよりも下とは・・・。わたしは、2005 年の RSNA は JAL でいきました。上記のような国際的な評価を知りませんでしたので・・・。周りから、JAL の国際線はまだ落ちてないから大丈夫と、なぐさめられて乗りました。

 他の日本の航空会社は、北海道エアシステム 160 位、エアージャパン 198 位といったところが下位でめだちます。日本の航空会社が世界一安全だと言われていた、わたしの若い頃がなつかしいです。

 日本でただひとつ、全日空は頑張ってますね。制服は少々野暮ったいですが、そのほうが安心だったりします。

 最下位は、アフガニスタンのアリアナ・アフガニスタン航空会社。総合点0(100 点満点),安全指数0点(満点で 1.0 。事故を起こすごとに低下していく。) という恐ろしい数字です。

 1位のルフトハンザは総合点 92 .2 安全指数 0.965 、全日空は総合点 89.1 安全指数 0.933, JAL 総合点 80.4 安全指数 0.919 というような数値が上げられています。

 安全度の評価法にはいくつかあり、この結果を盲信するのは危険かもしれませんが、2000 年 9 月に Flight Safe Consultation が発表した安全度ランキング (インターネット上にも載っています)では、1 位がエア・カナダ、2 位がオーストリア航空、3 位カンタス航空、4 位ルフトハンザ航空、5 位スイス航空、6 位アメリカン航空、7 位ユナイテッド航空、8 位 KLM 航空、9 位ブリティッシュエアウエイズ、10 位スカンジナビア航空、全日空は 11 位です。そんなに極端な違いはないように見えます。

 2000 年のランキングで 5 位のスイス航空が 2006 年のランキングから落ちているのは、1998 年の墜落事故が関係しているものと思われ(事故調査報告がようやく 2003 年に出ています。事故後、経営が苦しくなったようです。)、日本の インターネット上に解説 があります。エンターテインメント用の装置から発火したのが原因とされています。

 自分が乗っている機体がどの製造会社のどの機種かというようなことを気にしている方は少ないと思いますが(わたしもそうです)、機体の更新の頻度が事故の発生率に影響しているようです。古すぎる機体がだめなのは当然として(設計が古い、消耗・劣化している)、購入当初から乗組員に評判の悪い機体もあります。しかし、購入したからにはおいそれと替えるわけにはいきません。会社によっては 30 年以上使い続けている機体もあります。このあたりは、経営能力に並々ならぬ力を要求されるものと考えています。すぐれた仕様書の作成、すぐれた機種の選定・購入、購入後の頻繁で丁寧なメンテナンス、古い機種や性能の悪い機種の更新。実は現場よりも、こういった会社全体の運営方針のほうが、安全に寄与するのです。

 簡単ではありますが、機体の評価についても、上記 NewsWeek に載っていますので、詳細はご覧ください。どこの製造会社のどの機体がすぐれている劣っている、ということではなく、どこの製造会社の機体でも、一般的には新しく開発されたものほど、設計がすぐれていて、事故率が低いのだそうです。最新の機種だと事故率 0% という数字が並んでいます。新しいだけに、運航時間が短いという要素もあるのかもしれません。

 エンジンが2つの飛行機よりも4つの飛行機のほうが安全とされています。しかし、どこかへ飛行機で行くときに、機体まで選択している余裕はないような気がします。それに、直前に、飛行機が変更されてしまうことはよくあることですし・・・。2006 年のフランクフルト ==> ウイーンは、双発のエンジンの飛行機でした。なまじ知識があると、不安になっていけません。

 2005 年 3 月スイス航空は、ルフトハンザに株式を売却し、ルフトハンザの傘下に入っています。1998 年の事故が起きるまでは第1級の航空会社とされていました。

 

 

オーストリア出身の有名人(もちろん、一部のみ)

 ■ マリー・アントワネット (1755 〜 1793)
    ハプスブルク家の女帝マリア・テレーゼの娘。
    フランスと親交を結ぶべく嫁に出され、フランス革命で死刑となりました。
    外国出身であることで、貴族達から中傷を受け、フランス民衆に必要以上に憎まれたとされています。
    有名な ”パンがなければお菓子を食べればいいじゃないの”という台詞は
    別の女性の言葉であったことが判明しています。


    自由奔放に育ち、世間知らずだったというだけで死刑というのはあまりに悲しい。
    王制を守ろうとしたからというのも死刑の理由のようですが、逃げてしまった他の貴族達より
    よほど尊敬に値するのではないでしょうか。

 
    ハープを演奏し、作曲もしました。(12 曲が現存、他はフランス革命で焼き捨てられました。)

 ■ ヴォルフガング・アマデウス・モーツアルト (1756 〜 1791)
    作曲家、ピアノ演奏家。
    マリーアントワネットと 1 歳違い。シェーンブルン宮殿に、並んで座っている絵がありますが、
    事実ではないみたいです。
    フランス人はモーツアルトの音楽は好きなんでしょうか?
 
    他に、シューベルト、シェーンベルク、ブルックナーもオーストリア出身です。
    ベートーベンやブラームスはウイーンで生まれたわけではありませんが、移住しています。  

 ■ アルベルト・クリスティアーン・テーオドール・ビルロート (1829 〜 1894)
    腹部外科の父。ビルロート手術(現在も用いられている!)で有名。ウイーン大学教授。
    1881 年に世界で初めて胃の切除術に成功しました。

 ■ ボルツマン(1844 〜 1906)
    統計力学の創始者。ボルツマン定数で有名。

 ■ ジークムント・フロイト (1856 〜 1939)
    心理学の父。深層心理の解析法を開発。

 ■ グスタフ・クリムト(1862 年〜 1918 年)
    官能の画家。ベルベデーレ宮殿の上宮で鑑賞してきましたが、気にいりました。いいです。
    エゴン・シーレもすばらしいと思いましたが。

 ■ エルヴィン・シュレーディンガー (1887 〜 1961)
    量子力学の父。シュレディンガー方程式で有名。

 ■ アドルフ・ヒットラー(1889 〜 1945)
    ナチスドイツの総統。 

 ■ P.F.ドラッカー(1909 〜 2005)
    経営学の父。わたしも信奉者です。

 ■ アーノルド・シュワルツネッガー (1947 〜
    ”ターミネーター”は B 級映画とされていますが、わたしは衝撃をもって見ました。

 こうして並べてみると、どんな国なのか多少は見えてきます。優秀な音楽家や科学者、美術建築物が多数出現したのは、貴族からの援助が欠かせなかったのだと思います。

 絵画や小説家には音楽家や美術建築家ほどには有名人がいません。絵画や言論には、貴族からの保護・援助より、自由のほうが重要だったからではないかと考えています。

 ハプスブルク家が神聖ローマ帝国を管理するようになって以来、音楽は政治や生活における重要な潤滑油でした。ハプスブルク家の出身者は、音楽に堪能な人が多かったことが知られています。これは音楽の普及、発展には重要な要素だったと思われます。すなわち、モーツアルトが生まれる前に、700 年以上の音楽の歴史があるのです。いかにモーツアルトに天賦の才能があったとしても、こうした音楽的環境がなかったならば、能力をどこまで発揮できたかわからないと思います。こういう音楽環境がなかったとすれば、父親だって、モーツアルトを厳しく教育したかどうかだってわかりません。ウイーンは、まさしく、音楽の都です。1000 年の音楽の歴史は、他の国にはありません。

 

 

オーストリアの歴史

 何冊か本を読むうちに、歴史研究者によって、歴史の表面に現れた事項をどう評価するのか、かなり違うことがわかりました。たとえば、フランス革命で処刑されたオーストリア皇女、マリーアントワネットのフランスへの嫁入り一つをとっても、歴史研究者によってまるで評価が違うのです。オーストリアはドイツ圏なので、フランスへの嫁入りは当時、革命的なことだったのですが、ドイツ圏内ではかなりの軋轢を生んだとされています。

 人間を理解していなければ、歴史書なんて書けないとつくづく思います。歴史がどう進むかは、人間的・地勢的・経済的合理性に従うのです。人間(為政者、庶民)の選択はしばしば間違っていましたが、結果はきわめて合理的なものでした。そんなことをしてしまったから、当然ながらこんな結果になってしまった! と歴史は進んできたのです。

 歴史を知ることは何に限らず重要ですが、特に外国人と話をする時、相手の国の歴史を知っていることは、コミュニケーションを非常にスムーズにします。アメリカでは、新しいことが重視されますが、ヨーロッパは違います。ウイーン大学は 1365 年創設です。ちなみに、日本は、この頃は足利義満の南北朝時代(室町時代)です。日本の文化の歴史はヨーロッパといい勝負ができると思います。

 もっとも、日本の国の歴史についても逆に質問される可能性があり、それに応えるのは相当大変だと思います。1 回目の元寇と 2 回目の元寇の違いについて英語で答えられますか。藤原正彦氏が”国家の品格”新潮新書の中で書いている、イギリス人の教授からの質問です。こういう質問にきっちりと答えられると、その後の対応が違うのだそうです。

 オーストリアから帰ってきてから、あれこれ本を読みました。本当は、行く前に勉強していくのが良いのでしょうが、学会の準備で、とてもそんな時間はありませんでした。帰ってきてからでも十分勉強はできます。次に行く時は、もっと深く見ることができる、それで良いのではないかと思います。

 ハプスブルク家の歴史、神聖ローマ帝国の歴史、傭兵の歴史、ナチスの歴史等々。この国の歴史が決して明るいものではないことが理解できます。 もちろん、どこの国だって、影はあるので、そんなことを気にする必要はないと思います。

 オーストリアの歴史を理解するには、ローマ帝国の歴史を知るところから始めなくてはなりません。オーストリアという国は後述するように、西暦 996 年に建国されたことになっていますが、都市の発達はもう少し古いです。ローマ帝国は、主にカエサルの時代(要するに紀元前から)に、蛮族(ゲルマン民族)の侵入に対して、防衛線を設けました。ローマ軍が常駐していました。ドナウ川の南岸のブタペスト、ウイーンなどが、その前線基地でした。混血はありうるのでしょうが、オーストリアの国民の祖先は、ローマ人ということになります。

 西暦 476 年に西ローマ帝国が崩壊した後、それを受け継ぐ形で、フランク王国のカールがローマ帝国の皇帝(帝国の復活とされています)となり、その後、一応選挙制とはいえ、ハプスブルク家が、ローマ皇帝(神聖ローマ帝国)を世襲していくことになるのです。帝国といっても、実際には中身はほとんどなく、近隣の民族の単なる寄せ集めにすぎなかったようです。神聖ローマ帝国の中心はウイーンでした。

 神聖ローマ帝国は形式上は、西ローマ帝国の継続の形になっています。神聖ローマ帝国は、ローマ帝国とは名前が似ていますが、存在する場所も、構成する人間もかなり違うものであることに注意が必要です。神聖ローマ帝国は、ローマ帝国のゲルマン民族との防衛線付近(ドナウ川の南側、ライン川の東側)を中心とした帝国(民族の集まり)と考えればほぼ当たっているように思われます。住民は、確かにローマ人の末裔です。形の上では、神聖ローマ帝国の皇帝は、イタリアのローマで選ばれてはいるのですが、関係はほとんどそれだけです。神聖ローマ帝国としては、帝国をまとめるために、宗教・権威が必要だったのです。西ローマ帝国は、ローマ帝国が分裂したものなので、ローマ帝国の真の後継ですが、476 年に滅んでいます。ローマ帝国の興隆は、他国人でも優秀であれば、どんどん同化させていった (ローマ人として扱った。上級職にもつけた)ことによるのですが、紀元3世紀から5世紀頃には純血主義になってしまい(ローマ出身者以外を排除する)、次第に弱体化していきます。ゲルマン族により占領されて滅んだのではなく、自ら弱体化して消滅したというのが実態のようです。この純血主義の出現には、391 年にローマ帝国の国教がキリスト教になったことが大きいとされています。キリスト教はゲルマン民族(ゴート族)を蔑視していたのです。しかし、それ以前から、ローマの軍事力は低下していたという説(塩野七生さん)もあり、いくつかの本を読んでみましたが、よくわからないというのが実情です。

 神聖ローマ帝国には、管理者の任命権だけはあったので、機能もゼロだったわけではありません。土地の管理者は、税金の徴収権があるため、裕福になり、世襲を重ねることによって、貴族という種族ができあがったものと理解しています。貴族=有能な(?)官吏の家系というわけです。こういった管理者の寄り集まりが、神聖ローマ帝国の実態であったようです。

 神聖ローマ帝国を長い間、支配していたハプスブルク家は、閨閥を作ることで(娘などを嫁に出す)、これらの国が争わないように工夫をしていました。

 この当時は、教会が全国組織として発達していたため、土地の管理者と聖職者が共同で、神聖ローマ帝国を運営していました。バチカンにとっては、重要な資金源であり、神聖ローマ帝国は、”ローマの雌牛”とまで言われていました。民衆の窮乏、はなはだしく、これが後に宗教改革(カトリック一本だったキリスト教からのプロテスタントの発生:アウクスブルクの宗教和議 1555 年)が始まる重要な原因になっています。宗教改革の原因は、非常に経済的、政治的なものであったと言えます。

 国の戦いには、武器も兵士も必要ですが、神聖ローマ帝国や周辺の国では、金でやとった傭兵が活躍しました。観光などという産業がなかった近世のスイス人にとっては有力な就職先であり、各地に散らばったスイス人傭兵から、故郷に送られた金を管理するために、スイスの銀行が発達したとされています。ちなみに、フランスの近世の軍隊は市民で構成されており、傭兵中心だった神聖ローマ帝国の軍隊とはかなり状況が異なっています。こういったことが社会に与える影響は莫大で、近隣地域でありながら、かなり違う社会を生み出すことになりました。

 傭兵は、結局サラリーマンなので、傭兵同士は戦いを避ける傾向がありました。雇われているだけで、大義もないのに、双方とも傷つき、死亡するまで戦うのは馬鹿馬鹿しい話です。しかし、城攻めのように一方的な戦いの場合、あるいは片方の軍隊が相手に対して突出して優勢だった場合には、勝利した側による、強奪、強姦、虐殺が行われました。傭兵には倫理が要求されなかったのです。司令官の命令も行き渡らず、凄惨な状況になった戦争が記録に残されています。意識も戦法もかなり前から洗練されていた旧ローマ帝国の軍隊は別として、非戦闘員に対する攻撃が国際的に非難を浴びる、などという状況は、人類 5000 年の歴史の中で、たかだか近年 100 年くらいの期間でしかないと思われます。国の弱体化は、侵略を生み、侵略は、死と死に類する悲惨な状況を生んだのです。経済力が軍事力とほとんど同値であった時代がずっと続いていたのです。すなわち、国力=軍事力=傭兵を雇う経済力だったのです。

 神聖ローマ帝国が豪華な建物を建てたり、内装や備品にふんだんに金をかけて、経済力を誇示することは、ある程度は、戦争や侵略を防ぐ効果はあったのではないかと想像します。しかし、豪勢な建物をたてて経済力を誇示するという、一種のこけおどしは、近隣諸国には通じても、遠方からの侵略者にはほとんど通用せず、帝国が滅びるまで、断続的に東方からの侵略に悩まされることになります。

 ローマ帝国に対するヨーロッパ人のあこがれは、日本人には想像しにくいものです。フランスとドイツは元々は同じゲルマン民族 (フランク族)なのですが、紀元前には、ローマ帝国に管理される時代が続きました。ローマ帝国が滅んだ後、フランク王国が形成されたのですが、9 世紀にフランク王国が2つに分かれ、東フランク王国が今のドイツの原型、西フランク王国がフランスの原型になったとされています。おそらくは支配されていた間に、ゲルマン民族とラテン民族の間に相当の混血もあったことでしょう。

 EU の結成は、ラテン系とゲルマン系などの一体化した状態にもどそうとしたものであるというのが通説のようです。当初、EU は、9 世紀の頃のカール大帝(初代の神聖ローマ皇帝)時代の状態をめざしていたようですが、最近は、参加国を広くしすぎて、解体する可能性もでてきているようです。特に東ヨーロッパの加盟が、相当の反発を生んでいるようです。戦争の歴史を知れば、それも理解できます。

 名称だけは神聖ローマ帝国の皇帝の地位をもらっていたハプスブルク家(途中で皇帝も断絶したことあり。一応、選挙で皇帝が選ばれ、旧ローマ帝国により任命される仕組みなので)ですが、1273 年にハプスブルグ家のルドルフ 1 世がドイツ王に選出されて以来、何世紀にも渡り、現在の数カ国にまたがる広大な土地を管理していました。しかし、様々な民族をコントロールすることができず、次第に分割、縮小し、ローマ皇帝の名前も返上するようになりました。帝国末期には、ハプスブルク家は、ローカルなオーストリア皇帝を名乗るようになってしまいます。その後、フランス革命の影響で、市民が政治の主体になる傾向となり、皇帝制は 1918 年に終了しています。

 1871 年、ドイツは、第 2 帝国(神聖ローマ帝国の次という意味:ウイルヘルム 1 世)という統一国家を創りました。オーストリアは、この第 2 帝国からはずされています。1918 年、第 2 帝国が第一次大戦で敗れて崩壊後、第 3 帝国(ナチス)が出現します。オーストリアは、1938 年、第 3 帝国に併合されます。オーストリア国民の少なからぬ割合が、併合を歓迎し、ユダヤ人を追い出してしまいます。終戦後、ユダヤ人への謝罪がかなり後になって行われたことに国際的な批判がありました。しかし、これは、追い出したユダヤ人への財産返還問題が背景にあり、簡単には片づきそうもありません。最近、ナチス思想の政治家が出現し、オーストリアの国に暗い影をなげかけています。

 オーストリアは、人口が 800 万人ほどしかいない、また観光以外に産業がほとんどない小国です。日本の北海道くらいの緯度にあり、雪の多い北国特有の沈鬱な雰囲気の国です。気分的にはドイツの一部という意識なのではないかと想像します。同じドイツ語を話す、ということは想像以上に、同族意識を高めているのではないかと思われます。一言語一国家の日本人には想像が難しいことですが・・。

 オーストリアの歴史は、ドイツの歴史でもあります。そして、ドイツ圏は、フランスと違って、一直線に発展してきた国ではありません。分裂、闘争を繰り返し、東西ドイツの統合さえ、20 世紀の終わりまで待たなくてはなりませんでした。ちなみに、第二次世界大戦後の東西ドイツの分裂は国民が選んだことだったようです。このため、フランスと比較して、社会体制の整備が相当遅れました。封建制もずっと後まで続きました。フランスでは、すでに 1791 年(フランス革命の翌年)に、ユダヤ人を平等に扱う法律ができたのにもかかわらず、ドイツは、差別政策を続け、その後、ユダヤ人問題で重大なトラブル(ナチスによるホロコースト)を起こすことになりました。

 無骨で、頑固で、徹底しているというのがドイツ人気質で、フランス人からは、まじめな努力家という意味で、おそれられている存在でもあるようです。こつこつやる人というのは、享楽的な人から見ると、けむたいものです。フランスという国は非常に政治的に巧妙で、ハブスブルク家に、名誉(ローマ皇帝)を与える代わりに、東側からの侵略の防御をやらせていたフシがあります。

 飛行機がなかった時代には、道路、鉄道が重要な通行、運搬手段でした。川の通行には問題があり、運搬手段としては使えなかったのです。このため、ウイーンを含め、ヨーロッパの深部は、鉄道網が非常に発達しています。こられの鉄道網を見ると、第二次大戦時のナチスの強制収容所を結んでいることがわかります。鉄道がユダヤ人を運搬する重要な手段でした。そして、運搬するのに便利なところに、収容所が建設されたのです。鉄道の建設、運営がアメリカの財閥により行われていたことが、アメリカ政府がナチスの政治に批判をしなかったひとつの理由とされており、国際社会の複雑さを実感します。

 国の名称ですが、ドイツ語の " 東の国 " という意味の Oesterreich から来ており、" 南の国 " というラテン語 terra australis から来ているオーストラリアと似ているのは面白いです。オーストリッチという名称が文書に初めて現れたのは、996 年とされており、従って、この 996 年を建国の年としているのだそうです。

 オーストリアは、国際関係の施設誘致に熱心です。誰も頼らないという方針の隣国のスイスと並び、国際関係の難しさを 2000 年以上に渡って実感してきた国だからこその方針であろうと理解しています。

 

【参考資料】

1 .傭兵の二千年史 菊池良生 講談社現代新書

2 .観光コースでないウイーン 松岡由季 高文研(主に扱っているのはナチス関係)

3 .ハプスブルク帝国を旅する 加賀美雅弘 講談社現代新書(これが意外に面白く、理解が進みます。ヨーロッパ人も温泉が好きなんです。昔からの自転車旅行の普及も意外な感じがします。)

4 .物語ドイツの歴史 阿部謹也 中公新書

5 .ユダヤ人とドイツ 大澤武男 講談社現代新書 (是非、おすすめ!! ユダヤ人とのトラブルが、紀元後まもなくから生じていたのが理解できます。ナチスドイツになって初めてトラブルが生じたわけではないのです。)

6 .ハプスブルク家 江村洋 講談社現代新書

7 .神聖ローマ帝国 菊池良生著 講談社現代新書(是非、おすすめ!!。謎が多いとされる、”神聖ローマ帝国時代”が理解できます。ヨーロッパの歴史がよく理解できるようになります。)

8 .ドイツ史 10 構 酒井栄八郎 岩波新書(中等度おすすめ。4 に比べて読みやすい。著者によれば、戦前生まれのドイツ人、オーストリア人に、ナチスの話をするのはタブーだそうです。ものすごい落ち込んでしまうのだそうです。気をつけましょう。)

9. ウイーン 旅の雑学ノート 山口俊明 ダイアモンド社 1996 年 絶版
(ウイーンの街を楽しもうと思ったら必読の本です。ウイーンの裏通りや美術建築物について、楽しい記載があります。ウイーンで警官をしていた方が友人にいて、てほどきしてもらったと記載があります。通貨は当時のシリングになっていますが、街についての記載は古びません。鋭い洞察に満ちた本です。絶版が残念です。私は中古の本屋さんで手に入れました。)

10 .ローマ人の物語 塩野七生 新潮社
是非おすすめですが、巻数が多くて大変なので、第 1 巻だけでも読めば、ヨーロッパの歴史とヨーロッパ人種の考え方が、かなり理解できると思います。一番面白いのは、カエサル(シーザー)の巻です。全部で 15 巻で終わりだそうですが、ローマが滅んでいく最近の巻もかなり面白いです。しかし、宗教に関する考察が浅いのと、いくら読み直しても、なぜローマが弱体化したのかよくわかりません。戦略ミスが原因で滅んだように書かれている印象なのですが、私には、そうは思えないのです。

11. ガリア戦記 カエサル著 近山金次訳 岩波文庫(紀元前に書かれたとは思えないノンフィクション。現代にも通用する思考過程や感受性がちりばめられています。人間の精神・心理・思考過程は、紀元前から全く進歩していないんじゃないかと思わせる名著。技術は進歩してはいますが・・)